挑発されて、力んで、負けるものかと顔に書いてあるのがありありと見える。
 なのに力は及ばないのだ。悔しさにゆがむ顔が良かった。

 今まで、何百と見た表情。 ブレットのアイデンティティが塗り固められるのは、こんな時だ。

 パーフェクトな存在でいるために、常に勝者でなくてはならなかった。積極性と野心と実力が常に備わっていなければならなかった。

 

「Unpredictable Complex」

 

 ふと顔を上げればそこには見知った顔。でも、僕の予想していた人じゃない。びっくりしてそれが誰かわかるまで少し時間が必要だった。

「ブレット君?」

 ブレット君に限らず、知り合いに見つかるのは予想外だった。東京に人口が何人いるか正確な数はわからないけど、偶然に、数多くあるなかの一つの駅で、本人曰く「見たことのある横顔を見つけ」るのはもの凄い確率じゃないかな。

「やはりお前だったな、レツ」
「やはり、って、じゃあ確信もなく近付いて来たの?」

 呆れるのも束の間、笑いがこみ上げてきた。「クールになれ」が身上のブレット君らしくなかったからだ。

 


 

 レツは、本当に表情が良く動く。
 今でこそ喜怒哀楽がはっきり見せるものの、最初は険しい表情しか見せてはくれなかった。そんな表情になる場面でしか顔を合わせたことがなかったから当然だった。

 初対面からしてそうだ。街で仕掛けたのは単なる好奇心からだった。どの程度なのか力を試してやろうとして、挑発して、レースを仕掛けた。ターゲットに過ぎなかった。

 勝てばは自信に繋がる。自分は強いと、認めることが簡単にできた。理想とするパーフェクトな自分のために、研鑽を積み、できうる努力はやってきた。
 自然、敗者にはキツい物言いになる。レツに対しても、多分キツめの言葉を投げかけただろう。
 こんな初対面に、好感を持たれるような要素は見あたらない。ないほうがよかった。格の違いを見せつけるために第一印象は肝心だったからだ。

 レツにとって、おそらくオレの印象は(今はどうかはわからないが)「歯に衣着せない厭味なヤツ」だろう。今となってはそれを後悔するようになったオレの、レツに対する印象といえば。

 「UNPREDICTABLE」・・・「予測不可」だった。

 複雑で、予測不可能。

 それは合理主義者にはひどく脅威だ。

 ゴー・セイバは直情的で、ある意味わかりやすいとも言える。複雑なのはレツ・セイバの方だ。打ってすぐに響く弟に対し、兄は打っても響くのは時間をおいてだったり、響かないことすらある。
 相手の行動を読み切れないのは、読む側が客観的になりきれていないためだと言うことに、オレは気が付いていなかった。
 そして、堕ちたのに気が付いたときにはアウトだ。手の施しようがない。
 好奇心は猫をも殺すのだ。 

 当初の目的はとりあえず置いて、オレは用向きをと聞かれないのをいいことに、磨き込まれた柱型のオブジェに寄りかかり、雑談を交わす。メンバーが見れば目的のないディスカッションは時間の無駄だとディベートで言い放った男と同じ人物には見えなかっただろう。

 1歩の距離、頭数個分は下からの声は聞き取りづらい。なんでもレツ・セイバは欧米の文化を勉強中で、今日もその本を買いに来たのだという。

「豪のヤツが失礼なことしてたみたいで、悪いね」
「ああ」

 弟のよくやる人に指をさす行為が酷く失礼であることを知って、兄貴として代わりに謝罪をする。こういった習慣はオレにはない。いるのは年の離れた姉が二人だから、実感として湧かない。こういった新鮮な一つ一つが得難いものとして胸の内に溜まる。それはとても詩的で、これまで不要と切り捨ててきたものだ。だから、味わったことのない感覚だった。
 本を買いに来たのならば、行き先は自分がさっきまでいたところと同じかもしれない。この周辺にはかなり大きな書店ビルがあって、海外の最新の雑誌も揃っている。オレは内心チャンスだと思った。
 思ったことはストレートに言えばいい。

「本を買いに来たんだろ?だったらオレと行かないか。案内するよ」
「あ・・・ごめん。待ち合わせなんだ」

 目的地が同じだったのなら、運命的と思った駅での出会いは当然のものになる。
 未だレツが当初の場所から動かないことを考えれば当然誰かと待ち合わせている可能性があると、明晰な頭脳は分析するべきだった。申し出を断られるとは思ってもいなかったオレはポーカーフェイスを忘れた。身上の「クール」も、この瞬間はどこかにいってしまったようだった。ただ「why not?」で点滅させた頭は人混みの向こうにレツが何かを見つけて、顔を輝かせたのに反応が遅れた。

 視線の先には、濃い色の肌に珍しい色合いの髪、春先でパステルカラーが占める中の上下黒ずくめと、周囲の98%が日本人という中、悪目立ちしている男が一人。
 案の定、オレの見知った顔だった。


 金髪、バイザー、赤のダウンジャケットを着て自分が悪目立ちしているのを自覚していないブレットは、嫌なツーショットを見つけて眉をひそめた僕に、なかなか目敏いと評した。大きなお世話だ。

 あからさまに顔を逸らして腕の時計に視線をやりつつ近付いてくるのは「レツと待ち合わせをしているのだからさっさと帰れ」という意思を表してなのだったが、そんなことをされて気を効かせるつもりなど、ブレットには毛頭無いようだ。胸のところで組んでいた両腕をほどき、腰に当てるのは威嚇のポーズにも見える。
 おそらく。
 この男は、僕を格下にでも見ているのだろう。

 闘争本能とでも言うのだろうか。どちらが上か、白黒つけなければ気が済まない人間は多い。身近でいえばシュミットがそうだった。そして、ブレット・アスティアもそんな男だ。二人が一見反発しているのも無理はない。

 

「やりようによってはもっと上に行けるだろうお前は」

 初めてブレットと言葉を交わしたとき、彼は僕にそんなことを言ったと思う。シュミットなんぞの下について楽しいのか、そう聞かれたあとの台詞かも知れない。
 その言葉に、ああ、と目を細める。この男は、目的と、それを成就させる方法が僕と違う人間なのだ、と。良くも悪くもストレートで、率直な男、なのだ。
 最大の目的がチームの勝利ならば、個人の順位はさほど重要ではない。ことグランプリレースに関しては、チーム戦こそが優勝への鍵を握るのだから。

「別に、甘んじているつもりはないですね。性に合っていますし、第一、これが僕のやり方なんです。」

 気のない返事と共感できないといった顔。所詮は負け惜しみと思われたのかもしれない。
 ブレットにとって、僕はその程度のはずだった。

 

 ブレットがレツに惹かれているのは知っていた。いくら何でも尾行はしないだろうから、ここで会ったのは偶然なのだろう。百歩譲ってそういうことにしたとして、それでも、ごく当たり前のようにレツの隣にいるのが腹立たしかった。甘んじて僕がそれを許すとでも思っているのだろうか?それが間違いなのだ。 

 ひとつの確固たる信念を持っている者は、それが揺らいだときには酷く脆い。
 

 なら、ゆるぎを、起こしてやろう。僕には勝算があった。


 それほど長くはないオレのミニ四駆歴の中で、いけ好かないレーサーリストのトップから動かない奴がいる。そもそも、食事のたびにナプキンを当てる奴と、ジャンクフードを愛するオレが相容れるわけがない。リストのトップは今も持続していて、オレにとって「シュミット=いけ好かない」、「いけ好かない=シュミット」の構図は絶対だ。アトランティックカップの対決が無くとも、万が一別の出会い方をしたとしても、間違いなくオレは奴のことをこう言っただろう。「いけ好かない」と。
 いけ好かない男の側には大体といっていいほどその幼なじみが控えていた。
 出しゃばるでなく的確にシュミットのサポートをし、あるいは牽制をする。ミハエルがチームリーダーになってもそれは変わらなかった。奴ら二人のお守りを任されて発狂しないというだけで、ある意味の驚嘆すら覚えていた。

 が、言ってしまえばその程度。情報収集力やマシンに対するスキルはあっても、野心が見えない。
 自信なく見えるのは実力が伴わないからだと。
 ヨーロッパを制した最強コンビと言っても、多くはシュミットによるのだろうと。
 口に出したことはない。が、否定はしない。内心、この男を見下していたのだろう。
 この時のオレには、こいつらの間に入り込める自信があった。

 

「なにしてるんです」

 腕を組んで飄々としている人間に無視は通じないと見たのだろう。声を掛けたのはエーリッヒが先だった。

「羽を伸ばしにな。久々のオフなんだ」
「久々のオフなんだから部屋でデータ整理でもしていればいいんじゃないですか」
「そういうなよ。偶然見かけたレツ・セイバと話したって問題はない。だろう?」

 大ありだ、と顔に書いてある。そんな素振りは出さずに気遣わしげにレツを見やる。

「酷いこと、言われたりしませんでしたか?シュミットに言わせれば、この人は世界一、口さがないんです」
「オレに言わせれば世界一はお前の方だとシュミットに伝えておけ」
「そうなの?」

 小首をかしげてエーリッヒを見上げるレツに、オレはふと、違和感を感じる。
 まず目に付く違いは、距離だった。
 一歩近付けば一歩下がって密かに静かに、おそらく無意識に取られていた一歩の距離が、エーリッヒとの間にはなかった。

「とにかく飾らないというか・・・日本人は大抵驚きますね」
「そうだね・・・あ、でも、君たちの話し方って、もの凄くストレートだから最初はびっくりしたけど、慣れてしまえば大丈夫だよ?」

 視線をあわせて笑いあう雰囲気が、どんどん場を形成していく。どこがどう違うというわけではないが、オレとレツとの間にないものだった。柔らかいようで拘束力のあるそれは、それでも締め出される感じを抱くのには十分なくらいで。
 疎外感が背中に張りついたが、負けるわけにはいかない。

「レツ・セイバ」

呼んで右手でレツの左手首を掴む。驚いたようにばっとふりほどいた手をもう一方の手で抱え込む。

「え、え?何?」
「そんなに驚くことはないだろう」

 驚いて当たり前ですよ、とオレとレツの間に分け入ったエーリッヒがかばうようにレツの肩に手を置いた。

「多分ブレットは、間違えたんでしょう。挨拶の握手をしようとして」
「え?そうなの?」

 エーリッヒの体からひょこんと身を乗り出してレツが問う。エーリッヒの眼光が見えないのだ。

「初耳だなそれは」
「ええ。でも、そうでしょう?唐突に人の手首を掴むなんてマネ、他に理由があれば別ですけど」

 言えるものなら言ってみろ、と言外に臭わせている。嫌なことは嫌とハッキリ言うはずの男らしからぬ回りくどさ。感じていた違和感はこれだった。
 曖昧にぼやかすのは俺たちの手法じゃなったはずだった。先回りをして退路を断つ。のらりくらりと、それでも確実に輪から締め出すそれは、理由はわからないが汚いと感じた。

「そろそろ行きましょうか。ブレットにも用事があるみたいですし、一緒に行動するわけにもいきませんから」

 慈しむようにレツを見ていたエーリッヒの目が、スッと動いてオレを見た。細めた目は、いつか見たようなイヤな笑い。明らかに、意図した上での牽制のサインだった。後頭部を雷が直撃した。

 レツがオレに何と言ったのかはわからなかった。反射的に退かれた手と、それでいてエーリッヒの手が置かれるのは許したという事実が、オレを打ちのめしていた。

 

 敗因は。
 これを敗北と捉えるのであれば、敗因は、レツ・セイバがオレの知らない、それでいてエーリッヒの知っていた文化圏にいたと言うことだろう。
 異なった行動と思考。
 婉曲表現を好み身体接触に慣れていない。恥とギリとニンジョウの国民性。
 それでも、対象のレツが代替不可能な以上、この敗因は絶対的だった。

 オレにいわせれば奴の策は搦め手だった。それにレツが搦め取られてしまったように思えてならなかった。紳士を装って実直そうな口ぶりで。強かに、静かに。そうやって目的を果たしているのだと。それでも、どんな手だろうが事実は一つだった。どうやっても、オレはレツにあんな顔をさせることができないのだから。

 コンプレックスは持たせる方だった。アイデンティティーが揺らぐことはないはずだった。

「これが僕のやり方なんです」

 いつかの答えが響いて、オレは、いけ好かないと、いや、それ以上、憎しみすら覚えた。

 

 エーリッヒのやるように、(似非といいたい)「紳士的」に、「柔和」に笑ってみようとしても、どうやっても性に合わない。そもそもまったく似合わないのだ。バイザーを掛けたままでは皮肉げに、外してしまっては鋭い眼光が威嚇するように、磨き込まれたオブジェの中でオレを見ていた。当たり前だ、そうなるようにオレは自分をコントロールしてきたのだ。我を張らなければ競争社会では負けるのだ。

 その方法はここでは通用しなかった。

 人混みに二人の背中が紛れていくのを見送るだけのオレは、生まれて初めての劣等感に打ちのめされていた。今は、積極的にもなれなければ、自信もなかった。培ってきた何かが揺れた。初めて味ったそれは、ひどく屈辱的だった。


 どうやって寮室に着いたものか。買いに行ったはずの雑誌は電車に置き忘れてしまったのか手元にはなく、結局、オレがこの外出で、恋心とプライドと劣等感と、それらが複合した、重い物を腹に抱えただけだった。
 解消法は一つしか見あたらない。オレの、オレらしい方法でレツをエーリッヒから奪ってやることしかなかった。

 腹に居座った予想外に大きなそれは、当分、消えそうになかった。

 





*「Unpredictable」=予測できない、予言できない、何をしでかすかわからない
*「Complex」=(名詞)複合体、コンプレックス、反感 
        (形容詞)複合の、複雑な、込み入った


 





 『とけて形が消えるまで』の茂吉様よりキリ番2222を踏みまして頂きました「可哀想なブレッド絡みのエー烈」小説です!!おおおおお、と思わず歓喜の鬨の声をあげたい気分です!
 自然と二人の世界を築いてしまっているエー烈にパーフェクトブレッド鮮やかなる敗北(笑)レースではシュミットに、恋ではエーリッヒに、ドイツ鬼門な君に幸あれです! そして何気に黒服なエーリッヒにも万歳!
 もう家宝にします。墓まで持って来ます(心意気で)。茂吉様!こんなに素敵なものをほんっっとうにありがとうございました!!!




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