「おっ、来た来た」
 玄関の前に、相変わらずの黒塗りの車が停車する。
 まだ空が白むその時間に、豪は大きなボストンバックを肩に担ぎ、玄関の外に立った。
「怪しい人に付いていかないようにな」
「身体には充分気をつけるのよ。変なもの拾い食いするんじゃないよ」
「あのなぁ、何才だと思ってんだよ」
「忘れ物はないだろうな」
「ついさっきまでおれの荷物ひっくり返して全部チェックした癖にまだ言うか、兄貴」
 父さんや母さん、僕の最後の警告に豪はかなりげんなりした顔で、それでも今回ばかりはちゃんと返事を返した。
「じゃあ頼むね、藤吉君」
「任せるでゲス。烈君も元気で」
「うん。そっちもね」
 藤吉君と会話をしている間に豪はもう車に乗り込んでいた。
 車が発進する最後の瞬間、僕の方を向いて一言こう言った。

「じゃあちょっと行ってくらあ」

「頑張れよ」

 そして豪はドイツへと旅立っていった。




++距離〜烈ver〜++



 僕はその後もう一眠りし、再度目覚めてからは日常に従い詰襟へと着替え学校へと向かった。

「よーっす、星場」
「おはよー、星場君」
 道中、同じく登校中の同級生達からかけられる声に答えながら、通い慣れた学校の門を潜る。

 いや、"通い慣れた"というには少し語弊があるかもしれない。
 何故なら、僕がこの中学に正式に通い始めたのはつい最近のことだからだ。

 六年生の冬、僕は第二回WGP、僕自身にとっての最後の公式レースのためアメリカへと飛んだ。
 世界大会には国内大会のように明確な年齢制限はなかったが、大抵の国は後の世代の子ども達のチャンスを潰してしまうことを恐れ12、3歳でメンバーを入れ替える方針を採った。
 中でも日本は特にその傾向が強く、去年、参加資格に《小学生まで》という項目が新しく明記されている。
 ただリョウ君の参加に関しては、いまだGPマシンを駆れるレーサーが育っていないということもあって協議の結果、特別に承認されたらしい。
 そうして初代メンバーで望んだ最後の試合を終え、日本に帰還したのはほんの一月ほど前のこと。

 つまりそれまで僕は日本の学校に通うことはできなかった。
 入学式でさえ、偶然にも試合日が重なり、しかも一人の欠席者も出せないリレーレースであったため出席することができなかった。
 けれどまぁ冬になって初めて袖を通した制服への違和感は拭えないものの、学校自体に関しては小学校の面子に少々毛が生えた程度なので馴染むのに時間は掛からなかったのだけれど。

 そんな詮のないことをつらつら思い出しながらも足はきっちり動いている。
 靴を履き替え階段を登る。
 ふと顔を上げるとその先に見間違えようのない、正真正銘見慣れた人影を発見した。
 僕は何の躊躇いもなく、その肩を軽く叩く。
「J君、おはよう!」
「あ、烈君。おはよう」
 J君も今僕と同じ学校に通っている。
 実はJ君の入学はちょっと大変だった。というより大変だったのは小学校の卒業の方だ。
 小学校に関し、アメリカにいる間は当然インターナショナルスクールに通っていたけれど、それ以前は大神博士の元を離れてからずっと通信教育に切り替えていたJ君である。
 卒業証書は基本本籍のある学校で貰うように、とインターナショナルスクールの校長は言った。
 しかし、J君の籍はゴタゴタの中で正式に転校の手続きを踏めなかったことから、大神学園に置かれたままだったのだ。
 久々に会った大神博士は随分複雑、というか嫌そうな顔をしていたそうだけど、別に証書をあげないなんて意地悪はしなかったので、結局J君は中学校は無事、土屋研究所にとっても地元の風倫中学校へと入学が決まった。

 現在クラスも同じ、席も隣。今も良い友人関係が続いている。
「豪君は無事行った?」
「うん。今朝藤吉君が迎えに来て車に乗って空港に向かったよ。土屋博士も間に合った?」
「なんとかね。あれはいるかなこれもいるかなってギリギリまで機器の選別に頭を悩ませてたけど、必要なら後でまた手続きしますからって言ったらようやく出発してくれたよ」
「J君も大変だね」
 今度は博士の補佐として同行しなきゃならないかと真剣に思っちゃったよ、と冗談を言う――冗談だよね?――J君の肩を労うように叩きながら、いつの間にか辿り着いていた教室の扉を潜った。



「よぅ、烈。Jも一緒か」
 席に着くと、小学校時代からの親友である八田が真っ先に僕らの元へ近寄ってきた。
「おはよう、八田君」
「おはよ、相変わらず早いね」
「まあな。しかしJはともかくお前がこの時間に教室にいるとは珍しいな。今日は朝練なかったのか」
 八田は試合前に弛んでるぞ、と不可解そうな顔をした。
 ちなみにJ君は部活動を選んでいる最中らしく、まだどこにも所属していない。
「まさか、皆はちゃんと朝練に励んでるよ。僕は豪の見送りがあったからさ、さすがに休ませてもらったんだ」
「ああ、もうそんな時期なのか」
 今年は烈達がここにいるからどうも実感が薄い、との八田の言葉に僕とJ君は苦笑する。
「しかし本当に慌しいな。ついこの間アメリカから帰ってきたばかりだろう」
「まぁ、開催期間がほぼ一年だからね。あまり間を空けると年齢的に参加しづらくなる子もできてしまうし」
 WGPは開催と同時に次の大会の準備が進められるからこそ、可能なことだった。
「ふぅん、なるほど。で今年はどこなんだ?」
「ドイツ」
「随分遠いな。お前がいなくて弟は大丈夫か?言葉とか」
「あのね八田、僕だってドイツ語なんてほとんどわかんないんだけど」
 確かにエーリッヒ君達と交流があったから、僕は少しのドイツ語を知っているけれど、今話せるかと言われれば答えはノーだ。
「それでもお前は行けば勉強するだろう。だがあいつが自主的にするとはとても思えん」
 八田のもっともな正論に、思わずアメリカでの豪を省みてフォローの言葉に詰まる。
 でも代わりにJ君のフォローが入った。
「でも豪君って意外とコミュニケーションとるのはうまいみたいだよ。アメリカでもいつの間にか日常会話くらいの英語は話せてたから」
 文法はちょっと怪しくて、読み書きは最後まで覚えられなかったけどね、とは優しいJ君が口にすることはなかった。
「なんというかあいつらしいと言えばあいつらしいな」
「豪は日本語でも直感で話してるとこがあるからね」
「おいおい。あいつは動物か。しかし、あいつがいないと家も静かになるんじゃないのか」

「知らないよ」

 何気ない八田の投げかけ。
 それに答える思うよりずっと素っ気ない響きになった自分の声。

 八田とJ君が軽く目を見開いたのがわかった。

 僕は今、何を……

 慌てて取り繕うとした僕だったけれど、八田の話題転換の方が早かった。
「まぁそんなのはどうでもいいことだったな…それより烈、例の話考えてくれたか?」
「え?」
 弁解の言葉を考えていた僕は咄嗟に反応できなかった。
「例の話って?」
「J、お前も先週隣のクラスの大宮が転校になったのは知ってるだろ?」
「うん。生徒会で副議長やってた子でしょう」
「そうだ。急なことだったからその副議長の穴埋めがまだ決まってなくてな。早急に代わりが必要なんだが、誰もやりたがらなくて困っている」
 議長職は上級生と下級生の意見の橋渡しを担う職でもある。平等を帰す為に二年から一人、一年から一人で構成しないといけないことになっている。
 既に二月は後半。
 しかし任期はまだ半年も残っている。
 おまけに三月は決算月。
 色々と仕事が忙しくなることもある。
 いつまでも空白にしていることはできない。
 のだが、生徒会は大半、二年で構成されており、副議長は先輩と同輩の板挟みにされてしまうことが多いので代わりの立候補者が出なかったのだ。
「そっか。もしかしてそれで烈君に白羽の矢が当たった?」
「そういうことだ。お前はあのビクトリーズを二年もまとめてきたんだから、そのくらいできるだろ」
 そこで話を戻した八田が再び僕ににじり寄ってきた。
「それとこれとは話は別!大体前にも断ったじゃないか」
 だかど僕だって簡単にそれに頷くわけにはいかない。
 興味がないと言えば嘘になるが、一学年の生徒の意見全てが託される役はわずか五人のチームリーダーとはわけが違うだろう、と思う。
 それに何より、これ以上時間が取られるのは――困る。
「俺は会長からOKを貰うまでしつこく頼めと厳命されてるんだ」
「八田、お前はもっとプライドの高い男だったはずなのに。今のお前は生徒会の手下に成り下がってしまった」
「俺は元々生徒会メンバーだ」
「ちっ」
 八田の性格のいいとこを突いたと思ったのに、こうなれば。
「ちっ、じゃない。泣き落としも駄目だからな」
 再び舌打ち。
 読まれたか、さすが八田。
「J君やらない?」
 しょうがないので別の人間に振ってみた。
「僕はまだ学校に慣れるので手一杯だよ」
 J君、お手上げポーズで瞬殺。
 インターナショナルスクールではそれほど目立たなかった異国風の容姿も、ここ日本ではやはり珍しいのかJ君の存在は際立っていた。
 別にイジメなどはなかったが、周りが色々気を遣ってくれるので逆にJ君は距離を感じてしまうのだそうだ。
 J君の人柄ならその内距離も縮まるだろうが、今はまだそんな余裕はないだろう。
「そうだよね……」
 これ以上気苦労の種を増やすわけにもいかない。
 いくら何でもそこまで鬼にはなれないので、僕は以降八田の熱弁をなるべく聞かないように努めるしかなかった。
 だけどさっきまで僕と八田のやり取りを他人事と面白そうに眺めていたことは決して忘れないからね、J君。



 空き時間の度に繰り出される八田の猛攻をなんとかかわし、放課後僕は部活へと逃走した。



 所属はバスケットボール部。
 別に意味があって選んだわけではなかったけれど、ブレットと一緒にいるとよくアメリカメンバーにバスケに誘われていたのでその影響だったのかもしれない。
 同じ一年の部員と黙々とバス練習をしていると、部長にこっそり手招きをされた。
 近寄っていくと、とんでもないことを聞かされた。

 なんと今朝、試合メンバーの発表で僕の名前を補欠ではあるが呼んだというのだ。

 そんなこと誰も言ってなかったぞ、と後ろを振り返ってみると先輩や同級の奴らが皆揃ってニヤニヤとこちらを見て笑っていた。
 あいつら全員反応見たさに黙ってやがったな。
 一瞬、拳を握り締めたけれど、それ以上に込み上げてくる嬉しさに怒りは掻き消された。
 例えこの学校ではサッカーや野球が幅を利かせているため、元々うちの部員数が少ないとは言っても、一年でメンバーに入れるということはやはり貴重なことだった。
 心の中で『本場のバスケを教えてやるよ』と頼んでもいないのに押しかけ教師をしてくれたブレットに、少しだけ感謝した。



 こってり練習で絞られた僕は家に帰り、すぐにべたつく汗をシャワーで洗い流した。
 ついでに湯船にも浸かりお風呂を済ませる。
 夕食の準備を手伝う内に父さんが帰宅し、いつもより一人少ない三人で食事を取った。
 後片付けを手伝った後、ベッドに横になりながら先週買い置きしておいた本を読む。
 が、今朝早起きしたことや練習がきつかったこともあり、すぐに眠気が襲ってきた。

 明日も早い。

 眠気に勝つことを早々に諦めると読みかけの本を脇に追いやり、僕はそのままいつもよりかなり早い眠りについた。


 豪がいなくてもちゃんと一日は過ぎていく。

 真夜中、まどろみの中で電話のコール音を聞いたような気がした。
 その会話の中では豪が無事ドイツの寄宿舎に着いたとか何とか言っていたように思ったが、それをはっきり認識する前に僕の意識は再び深い夢の奥底へと沈んでいった。



 ああ、眠いなぁ。



 弟のいない一日目はこうして何事もなく過ぎていった。




to be continue…

 烈と豪のお話。捏造の始まり始まり。というわけで次は豪verで行きたいと思います。二人の成長話なのに、何だか離れ離れですいません。そして烈が偽で更にすいません。一人称俺か僕か迷いましたが、高校生になるまでは取り敢えず僕で。そして、一年なのに当然の如く生徒会に入っている八田。




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