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++68.騎士の町++ 「見えましたよ」 朝焼けの下、薄ぼんやりと浮かび上がる石造りの島。 「あれがラズリルです。中々美しい島でしょう」 「………………」 「え?」 ヘルムートが問い直しても、ナギが言葉を変えることもなく、かと言って二度同じ言葉を繰り返すこともない。 ナギにとってのラズリルの第一印象とは、そのたった一言だけだった。 ******** 隣で歩く幼い横顔を見下ろし、ヘルムートは内心彼の処遇をどうしようか悩んでいた。 前情報では、気性は荒いほうであると聞いた。 初めて挨拶を交わした当初から、彼は鋭い目つきをしていて、ヘルムート自身も正しく気の強そうな印象を受けた。 それも、あのような別れの場面を見てしまった後では、ヘルムートとしては先が思いやられる心地で、船内では一体どのような八つ当たりをされるか、乗船前から既に胃の痛い想いを抱いていた。 しかしヘルムートにとっては幸いなことに、あれからナギが特別荒れるということはなかった。 時折、食事中最後まで取って置いた好物を横取りされたり、目を盗んで船内をうろつかれたり、とても独特な料理のようなものを振舞われたりという嫌がらせもされたが、それはどうやらナギにとっては平時の状態であるらしく、ならばあまり心配することではないのかと胸をなでおろすべきなのかどうなのか、ヘルムートの心中は更に複雑ではあった。 できることなら面倒はごめんだ。 彼とはどのくらいの付き合いになるのか、検討もつかなかったができるだけ短ければいいな、とヘルムートは漠然とした希望を抱かずにはいられなかった。 はぁ 内心一度だけため息を落とし、気持ちを仕事用に切り替えた。 「久々の陸地はどうですか?違和感や気分が悪いなどの症状があったらすぐに言ってください」 「至って元気だけど?」 「それは何よりです」 チッ 内心の舌打ち 少しくらい気分が悪ければ、部屋で大人しくしているだろうに 船内での行動を考えれば、その点でのナギへの信頼はヘルムートには皆無であった。 「何か不満そうな顔してない?」 不穏な空気を感じ取ったのか、ナギは胡乱げな目でヘルムートを見た。 「気のせいです」 きっぱりと返したが、ナギは半目で見るのを止めなかった。 気まずい 「あ、お腹は空いてませんか?」 空気を換えようと話題転換を図る。 「空いた」 「では城砦に着いたら昼飯を用意させます」 「え?じゃあ何で今聞いたの、着いてからでよかったじゃん。ヘルムートって面倒くさいね」 「…………」 あの、これは、何?さっきの根にもたれてるのか? 「一瞬そこの屋台で何か買ってくれるのかと思って期待したよ。あーあ、無駄にがっかりしたな」 ああ、良い匂い嗅いで余計にお腹すいたなぁ。おいしそうだなぁ、と更にナギは攻め立てる。 取り付く縞がない。 何故だ。 船内では怒らせてもここまで態度を悪くすることはなかったのに。 そしてヘルムートはナギの取り扱い方について聞いていたことをまた一つ思い出した。 外面はいいが、慣れれば慣れるほど手に負えなくなる、と。 ……これはその片鱗なのか? 船内でも不安だったのに、もっと不安になった。 もはやこのやり取りだけで充分に疲れたヘルムートは、もう余計なことは話さず、必要事項だけをさっさと伝えてしまうことにした。 「わかりました。そこのドーナツは買いますから。お願いですから黙って話を聞いてください」 「あ、そう?悪いね」 ちっとも悪いと思ってない口調で言われた。 もしかしたら単に最初からドーナツが狙いだったのかもしれない。 では自分はまんまと彼の策に嵌ったということだろうか? 更に肩を落としながら、ヘルムートは屋台までの道のりを歩きながら、説明を始めた。 「まず部屋のことなんですけど、残念ながらここは今あまり治安が良くありません。なので申し訳ありませんが、今しばらくは俺と同室ということになります」 「ふーん。周りにはどうやって説明してんの?」 「……俺の遠縁ということに」 「僕って一体どれだけクールーク軍部に親戚がいるわけ?」 「今はそういうことにしておいてください。その方が問題が少なくて済みます」 「少なく、ね……ま、僕は何だっていーんだけどさ」 んじゃま、しばらくよろしくね、ヘルムート。 差し出された手は、思ったよりも小さくない。 武の心得はあるだろう。 その言葉は忘れていない。 けれど、小さな手だ。 「ねぇ。あれってさ、何やってんの」 揉めてるっぽいけど と言われ指し示された先を見てみれば 「あいつらは……また」 その先にあったのは、まだ年若い三人の騎士達。 中でも一人は警備隊長となったばかりの、それなりの地位にある、しかしだからこそ難しい人物でもあった。 残り二人にも見覚えがある。 思わず露骨に嫌そうな顔をするヘルムートの姿に興味を抱いたのかナギは再び面白そうにそちらを眺めやり始めた。 更に嫌な予感がする。 「彼らは敗戦兵なんですよ。まぁ内一人は既に此方側ですが…どちらにしても貴方が関わるような人間ではありません。俺からすれば単なる売国奴と、戦うことさえできなかった腰抜け騎士どもですから」 「へぇ。あれが例の警備隊長との地位と引き換えに戦わずしてここを明け渡したっていうフィンガーフート家のボンボンと、その元仲間達かぁ」 友達にしては仲悪そー。 と、呟くナギにキャラになく、思わずズッコケた。 「なっんでそんなに詳しいんですか!!」 「いや結構兵士達の間で噂になってるって。移動中の船でさぁ、チョロチョロっと散歩してたら貴方の部下達が勝手に教えてくれたんだよ?」 なんとかナギの興味を終わらせようと、ヘルムートは辿り着いた屋台の前に並ぶドーナツを指し示した。 「ほら!お望みのドーナツですよ!好きなだけ選んでいいですから、どれにしますか!」 「わー、どれもおいしそう」 あれとー、それとー、これもいいなぁ などとドーナツに夢中になっている姿を見て、ヘルムートは一先ず注意をこちらへ向けることに成功したと、胸を撫で下ろした。 「ヘルムートはどれにする?」 更には自分の方まで気にかけてくれて、ヘルムートは「ああ、彼もはちゃめちゃなだけじゃないんだな」と、頬の筋肉を緩めた。 「では私はこれとこれを」 二つを選び、彼が選んだ分と合わせて、屋台の青年に袋に詰めてくれるよう促した。 財布を取り出し、金を勘定しながら、ヘルムートはふと先のことを思い返し、一言だけ注意を促しておこうと口を開いた。 「さっきの話ですけど、彼らはちょっと複雑な事情があるようなんでくれぐれも刺激はしないでくださいね」 ……………… 返事がない。 変だ。機嫌は直ったはずなのに。 また何か変なことを言っただろうかと、背後を振り返ろうとしたとき、店員がドーナツを詰めながら「そういえば」という風にとんでもないことを言った。 「お連れさん、結構前にあっち行っちゃいましたけどほっといていいんですか?」 と。 「やりやがったなあああああのがきゃあああ!!!」 ドーナツ屋の前で天を仰いだ。 慌てて辺りを見渡してみれば既に彼の人は渦中の真っ只中で 「な、何故かさっきよりヒートアップしている気がする」 彼が消えて、まだほんの一瞬くらいしか経っていないのにもう怒鳴り声がはっきりこちらに響くほどになっている。 しかも暴力沙汰になりそうなのを、もう一人が羽交い絞めにして止めている状態だ。 クラリと眩暈がした。 こ、これは聞いていた以上の問題児かもしない。 敬愛する上司に託された、丁重に扱うべき人だが、ヘルムートは既に初日にして挫けそうになっていた。 とにもかくにも早く追いかけなければ、と踵を返し追いかけようとした。 が、 「ちょっとお客さん!御代!」 店員に呼び止められ、まだ出したお金を渡していなかったことに気づく。 俺としたことが。 ペースを崩されていると感じながらも、手の中の札を渡す。 「あっ、大きいのしかない?今、お釣りあったかなぁ」 ゴソゴソとお釣りの袋をひっくり返している店員の姿に、ヘルムートは思わず叫んだ。 「釣りはいい!早くドーナツだけくれ!」 「いえ!そいうわけにはいきません!お客さんに釣りも返せないなんざ、店の看板の名折れだぁ!ちょいと待っててください!」 しかし敵もさることながら、立派な商売人魂の賜物で、こちらも譲ろうとはしない。 ドーナツを持ったまま、隣の店に飛び込んでいってしまう。 「それはいいから早く追いかけさせてくれええええ!!!」 苛苛と足踏みしながらも、律儀に待ってしまう真面目なヘルムートであった。 一方、その頃、勝手に逃亡したナギはと言えば。 案の定、面倒ごとを更に面倒なことに発展させていた。 元々道端で揉めていた二人。 ジュエルとスノウ。 ガイエン海上騎士団候補生時代の同期である。 仲は純粋にいいとは言えなかったかもしれないが、それでも学生生活を共に過ごすくらいの友人関係はあった。 しかし、アキの流罪事件、クールーク侵略、次々と事が起こるに至って、二人の確執は深まり、ほぼ修復不可能なほどに悪くなっていた。 今では顔を合わせれば、揉める。 そしてその度にケネスが仲裁に入る。 そして最終的には二人が怒鳴りあって、決裂する。 それがいつものパターンと成り果てていた。 今日も途中までは、日課のような普通の揉め事だったのだ。 「アンタがアキを売ったのよ!」だの「僕は見たんだ!」だの「町の事だって!」だの「僕は悪くない!」だの、交わることのない平行線な言い合い。 今日ももちろん、それで終わるだろうと思っていたケネスであったが、想定外なことに、それは途中から方向性を変えてしまった。 原因は目の前の少年。 常より険悪になっている状況を前に、ケネスは手を出しあぐねていた。 「クールークになんて屈したわけじゃないわよ!」 「おいジュエル」 突然現れた少年は、「お姉さん達がもしかして噂の腑抜け騎士?」とたった一言、されどジュエルの神経を逆なでするには充分過ぎるその一言で、場の空気を完全に爆発寸前にまで高めてしまった。 そしてどうすべきかと考えている間にも、場はどんどんヒートアップしていっていた。 「ってかあんた誰よ!どっから来たのよ!」と怒鳴ったジュエルに対し、「あっちから」と指された先にあったのは、クールーク第二艦隊の戦艦の一つで。 「敵じゃないのよおおお!!」 とジュエルが思わずというように、叫んでしまった。 一応ここは降伏したということで現在クールークに所属する都市となっているのである。 その地で、こんな物騒なことを叫んだと知られれば、反乱分子として捕らえられかねない。 ケネスは再び焦ったが、幸いにも今この場にはスノウ以外のクールーク軍兵は見当たらなかった。 とりあえず先の発言を咎められなかったことに胸を撫で下ろしたが、いつこの騒ぎを聞きつけ兵が来ないとは限らない。 今度こそジュエルの口を塞ごうとしたが、それは振り払われ適わなかった。 「あんた達がどんなにここを蹂躙しようとしたってねぇ!勇敢なるガイエン騎士団は誇りまであんた達に売ったわけじゃないんだからね!!」 「でも投降兵なんでしょ?」 「ぐっ!そ、それは……そうだけど!」 少年の落ち着いた物言いにジュエルも思わず詰まった。 「しかもガイエン騎士団は戦う前から全面降伏したと聞いたけど」 無邪気だ。 子供の無邪気な質問なのだ、客観的に見たありのままの。 だからこんな子供に腹を立てるのは間違っている。それはもちろんわかっている。 悪気もなさそうだし、そう、なさそうではあるのだが。 「それって騎士の誇り的にはオッケー?」 ブチッ ジュエルの理性はそこまでだった。 「うっるさあああああああああああい!!」 「じゅ、ジュエル?!!」 突然雄たけびを上げて目の前の少年に拳骨を落とそうとする同僚を、ケネスはもう条件反射のように素早く羽交い絞めにした。 「大体!元はと言えば全部!全部アンタのせいじゃないのよ!!」 爆発したことで元々の原因を思い出したのか、今度はジュエルと少年の言い合いについていけず、蚊帳の外になっていたはずのスノウに、再び標的を移した。 ジュエルの制止を振り切り、ついにスノウの胸倉に掴みかかった。 「な、何をするんだ!ジュエル!やめろ!自分が何をしてるかわかってるのか!」 「わかってないのはあんたでしょ!勝手に町を売り渡して、自分はまんまと警備隊の座に落ち着いて!アンタ一体何様のつもりよ!」 「けれど戦ったところで結果は同じだったさ!だったら無駄な抵抗をして無駄な犠牲を出すよりも、手早く交渉の場を持つことこそがこの町の為だろ?!だから僕は人の上に立つ人間として最良の判断を下したまでだ!」 「なぁにが人の上に立つ者よ!アタシ達は誰一人アンタのことなんて認めてないし!こんなことも認めてない!ここはあんた達フィンガーフート家の私物なんかじゃない……騎士の町なんだから!!」 「巷では口だけの腰抜けとか、誇りを捨てた売国奴とか言われてるらしいよ!」 囃し立てるように少年が野次を飛ばした。 「な、ななななんなぁ!!!ぬぁぁぁあんですってぇえっ?!そんな失礼なこと言ってる奴はどこのどいつよぉおっ!!」 「あはは、怒ってる怒ってる」 「キィィィィッッ!何なのよアンタ!馬鹿にしてんのっ!」 正に火に油だ。 騒ぎを収める為に尽力を尽くしていたケネスは頭を抱えた。 ジュエル一人だけでも持て余すというのに、新たなトラブルメーカーまで出現されてはたまらないというものだ。 「落ち着け、ジュエル!ムキになるな!」 「だって!」 これはもう収集不能かもしれない。 「別に馬鹿にしてるわけじゃないよ。気を悪くしたならごめんね」 「完っっ璧に気を悪くしようとしてるとしか思えなかったけど!」 「世間の評価をわかっておくのも大事だと思うよ。本当のことは君達だけが知ってればいい」 違う? そう言って首を傾げる少年に、ジュエルは呆気に取られた顔で固まった。 そして今度はスノウの方にクルリと向き直る。 「死傷者が少なく、すんなり侵略が済んだのは君達一家のおかげらしいね」 スノウは警備隊長になって、一通りここにいるクールーク兵と面通しはしたが、彼のような少年がいるとは聞いたことがない。 ならばもちろん兵でないと考えるのが普通なのだろうが、未だ安定していない侵略地であるここに無関係な民間人を連れてくるというのも変な話だ。 戦艦に乗って来たということは、クールークの関係者には間違いないのだろうが、何者なのだろう。 実は敵方であったクールーク軍でも、戦わずして降伏したスノウを毛嫌いする者は多い。 けれど、どうやら彼はジュエル達の言い分よりも、スノウの行動に賛同しているように見えた。 初対面の少年に不信感を抱かないわけではなかったが、逆に見も知らぬ少年が自分のしたことを認めてくれている。 それは正に、世間の人々が自分の行動を勇気ある正しい選択と認めた証のように感じられ、またそれ以外の事実はスノウにとって今気にするべきには値しないと思えた。 「何、感謝には及ばない。僕は」 「正しいことをしただけ?」 「そうだ」 「そう。確かに良い選択だったのかもね」 重ねられる少年の言にやはり自分の選択に確固たる自信が確立されていくのを、スノウは感じていた。 だからこそ、次の少年の言葉はよく聞こえなかった。 「でも嫌い」 「は?」 「僕は嫌いだな」 にっこり 正にそのような形容がつくほどの満面の笑みだった。 そしてまた更に、その言葉の意味が周りに浸透するまで少しの間が必要となった。 その間に少年はスルスルとスノウとの距離を更に詰め、肩にポンと手を置き先とはまた違う笑みを浮かべた。 「背後には気をつけたほうがいいんじゃない?」 ニヤニヤとさっきとは同じ人物とは思えない、人の悪い笑みを浮かべる少年のギャップにまだ頭がついていかない。 「何だって?」 「君はいつかそのしっぺ返しを食らう日が来るだろう」 僕の予言、結構当たるから そんなスノウに構うことなく、一方的に言いたいことだけ言ってしまうと、少年はスノウからスルリと手を外し、さっさと距離をとった。 「ぶ、無礼だぞ!君!大体にして一体何者なんだ!」 次第に意味を理解し、顔を赤くし始めた頃には彼は既に先ほど言ったことには何の興味も残してはいなかった。 伸びた爪先が気になるのか、もう片方の指の爪先と擦り合わせていた。 「さてね。んなのヘルムートに聞いてよ。もー設定コロコロ変わりすぎて自分でもよくわかんないんないから」 明らかにだるそうに返事を返す少年に、今度こそ本当に馬鹿にされたと感じたのか。 スノウはますます顔を赤らめ、ついに拳を振り上げた。 「ナギ!」 しかしそれは、素早く動いた影によって遮られた。 「あだっっ!!」 と言っても、少年を庇ったわけではない。 むしろその逆である。 新たに現れた影はスノウよりも早く、場を更なる混乱へと貶めた少年に、裁きと言う名の拳骨を落とした。 「何すんのさ!」 当然の如く怒りの声を上げて振り返る少年と共に、スノウたちの視線も自然とそちらへ行く。 そして驚いた。 視線の先にあったのは、ここラズリルの攻略に辺り、指揮を任されていたと噂される青年将校だったのだ。 本人は将校という割には見回りなどを率先して行うので、ジュエル達も顔だけはよく見知っていた。 しかしこんな風な怒りを称えた表情を見たことはない。 思わぬ展開に、三人は成すすべなく静止した。 その間も、少年とヘルムートは言い合いを続けていた。 「何さも自分は悪くないみたいに言ってるんですか!着いた早々人の話も聞かずにフラフラフラフラと!大人しくしてて下さいとあれほど言ったのに何を聞いてたんですか!」 「ちゃんと聞いてましたぁ。でも頷いた覚えはありませんー」 「屁理屈こねない!」 やはり何者かはわからなかったが、少年はヘルムートを前に全く引けを取らず、むしろ押していた。 しばしの攻防の後、ようやくヘルムートの気が済んだのか、一度深呼吸をし、こちらへと意識を向けた。 「すまない。彼はまだここに来たばかりで事情をよく知らないのだ」 僕は世間の噂と現在における結果論と率直な感想を言っただけなのに、と少年はまだ隣でぶつぶつ言ってはいたが、多少は悪いことをしたと思っているのか先ほどまでの勢いはなかった。 そしてそれは当然の如くヘルムートによって黙殺された。 「それも箱入り息子で少し頭も弱い」 「ぅおい」 しかしその暴言は、さすがに聞き捨てならないと少年が突っ込んだが、これまたさらりと流された。 「というわけで今回は見逃していただきたい」 殊勝といえば殊勝だが、頭を下げているわけでもない毅然とした態度は見ようによっては偉そうとも見える謝罪だ。 しかしスノウの自尊心は充分に満たされたのか、彼は鷹揚に頷くだけだった。 本人は器の大きさを見せ付けたつもりかもしれないが、傍で見ていたケネスにとっては変わらない友人の性質を再び思い知らされるようで頭の痛い想いだった。 「お騒がせしましてごめんね」 ヘルムートがスノウと軽く儀礼的な挨拶を交わしている間に、少年はまたしても悪びれなくジュエルへと語りかけた。 ジュエルは少年のスノウへの暴言のギャップや、突然のヘルムートの登場についていけておらず、まだ目を白黒させていた。 しかし少年は構うことなく、自分の話を続けていく。 軍人って堅苦しくて面倒くさいだの、早くドーナツを食べたい、冷めるだのその大半は自分達には全く関係のない愚痴ではあった。 けれど「まー色々言っちゃったけど、僕個人としてはぁ」と最後にそう前置きをすると、一言こう言った。 「君の啖呵、すっきりしたよ。かっこいーじゃん、姉さん」 あげくそんなことを言い出して、先の暴言は一体何だったのかとケネスは再び頭を抱えた。 しかしふと思う。 そう言えば、少年はジュエルに対し常に"世間では〜"とは言っていたけれど、自分の意見として否定的な言葉は一切投げかけていなかった。 「ちょっとぉ…あんたどっちの味方よ」 ジュエルも同じことを思ったのか、少年の意図がよくわからず戸惑った様子で問いかけた。 しかしその問いに対しては、少年は「はてさて」と惚けたように笑うだけで、特に応えは返さなかった。 ケネスも少しこの少年に興味が沸いて、何がというわけではないが話しかけようとした。 しかしその瞬間。 ゴンッ 本日二回目の良い音がした。 「ナギ!いい加減にしてください!!」 またしても少年の頭に拳骨が振り落とされた。 「ちょっ、もー!そんな怒んないでよ!痛いしっ!!短気は損気だと思うよ?」 「ナ・ギ!!!」 「はいはい」 頭を撫でながらも、その割にはあまり堪えていない感じで口答えして、またしてもヘルムートの堪忍袋が切れそうになった為、ケネスのそれは適わなかった。 「もー余計なことはしません。大人しく付いていきますよ」 「そうしてくれると本当に助かります。貴方達にも御見苦しいところをお見せしました。それでは失礼します」 いつの間にかスノウは去っていて、目の前には怒りの形相のヘルムートしかいなかった。 ヘルムートはジュエル達にも一礼し、そそくさと此方に背を向けた。 しかしそのときには少年の手を取り、少し乱暴に引くことは忘れなかった。 少年がジュエルとケネスの間をすり抜けていく。 「……………………………」 少年の言葉が二人の耳を掠め、そして少年とヘルムートは去っていった。 取り残された二人は、まるで台風一過のような出来事にしばしその場に立ち尽くした。 結局、頭にあるのは少年の最後の言葉。 「僕はどっちでもない。けど、ここは騎士の町なんだろ?」 別れ際、すれ違ったその一瞬、ジュエルとケネスの耳元で囁かれた何気ない一言。 けれどそれは不思議とジュエルとケネスの心に深く染み渡った。 正直、決して認めたくはなかったけれど、二人の中で、死傷者が出なかった点ではスノウの選択もまた正しいものだったのかもしれないという想いも、心の奥底にあったことも確かだった。 だからこそ、ジュエルもそれを否定したいが為に、必要以上にスノウに突っかかっていた。 けれど 「ここは騎士の町なんだろ」 そう、ここに住むのは確かに民である。 けれど民であると同時にまた、皆騎士なのだ。 護られるだけではなく、皆が侵略に対し、戦う意思を持った町なのだ。 この町に忠誠を誓い、護るために戦う決意をした特殊な町。 皆が納得して決めたことなら、降伏も已む無い。 けれど、皆が民としてではなく、騎士としての誇りを汚されたと憤っているのならば。 やはりこのままにはしておけない。 そのために今はできることをしよう。 そして二人は顔を見合わせ、頷きあった。 遠い場所で、志を同じくしている友、三人の顔が頭を過ぎる。 彼らのためにも、決して諦めてはならない。 「変な子だったわね」 「ああ。だが、これで迷いも消えた」 世の中何がきっかけになるかはわからんな。 ケネスの言葉にジュエルも笑った。 本当に世の中不思議だ。 さっきまでは最悪な気分だったのに、もう今はこんなに心が晴れている。 「情報ではあいつらも、他の島の有志を募って頑張ってるらしい」 「じゃ、あいつらが帰ってきたときのためにも、ちょっとでも有利な状況を作っとかなきゃね」 「できることからやるか」 「だね」 そして二人も去っていった。 別れた仲間に希望を託し、今はただ解放の日を夢見て水面下での活動を再開したのだった。 ******** 「全くいきなりこれとは、先が思いやられますよ」 あの場を離れてからも延々ブツブツと不満を漏らし続けるヘルムートに、ナギもまたげんなりとした表情をしていた。 「聞いてますか!ナギ!」 「聞いてる聞いてますよー。全く意外とねちっこいよね、ヘルムートって」 「誰のせいでこうなってると思ってんですか!」 ヘルムートは元々そんなに執念深いほうではない。 幼い頃から武人教育を施されてきただけあって、物事は常にきっぱり白黒つける方を好み、それを後に引き摺ることも良しとしなかった。 そのはずであったのに、終わったことをこれほどまでにグチグチ言い続ける羽目になろうとは。 以前なら想像もしなかったというのに。 「ヘルムートが元々隠し持ってた性格でしょ?」 どの口が言うか。 「違うでしょう!貴方に改める気が一切なさそうだからでしょうが!」 「あ、そーいう決め付けってどうかと思う」 「だったらこれから勝手に出歩いたりしないで、大人しくしてると誓うんですか!」 「や、それはないけど」 「何でないとか言い切ってんですかあああ!!」 せめて今だけでも良いからほっとさせてほしい。 手の中のドーナツに悲しげな視線を落としながら、はぁと大きなため息を落とした。 「仕方ないじゃん。だって嘘はよくないでしょ?」 「まぁそうですけどね」 励ますように肩を叩かれ、揃ってドーナツを頬張った。 「僕もここに来るまでは大人しくしとこうかなって思ってたんだよ。でもさ」 興味深いんだもーん。 手に付いた油を紙ナプキンでふき取り、ナギは両手を広げて町を見渡した。 「そうですか?物騒ですし、物珍しい観光地があるわけでもないここの、どこがそんなに気になるんです?」 確かにナギはオベルでは遺跡探索や植物いじりや大浴場など、様々なものに興味を示していたことは聞いていた。 けれどここには、彼の興味を引く観光地などないし、植物の種類だってオベルより格段に少ない。 風呂だって大きさこそあるが、オベルのような装飾は見られないし、町も石造りで少々無骨なイメージが強い。 彼の興味を引くようなものがそうそうあるとは思えない。 ナギがここに着いてまだそんなに時間が経過していないにも関わらず、何がそんなに彼の興味を引いたのか検討も付かず、ヘルムートは首を傾げた。 「どこがって言われると言葉にするのは難しいんだけど」 どうやら深く考えてした発言ではないらしく、改めて問われて「うーん」と顎に手を当てしばし視線を彷徨わせた。 「敢えて言うなら"匂い"かな」 さっきより強く感じるんだ。 やがてポツリと漏らされた言葉は、更に意味がわからず「どういう意味です?」と続けて問いかけた。 するとナギは手を広げたまま、今度はクルクルっとその場で回転した。 「"アレ"を嗅ぐとねー、なんだか」 そして突然ピタリと動きを止めた。 目が合う。 彼の口が開く。 「血が騒ぐ」 ニッと彼が笑った。 スーッと、背筋を薄ら寒いものが駆け抜けた気がした。 「冗談だよ」 単に揉め事が多そうだから、退屈する暇だけはなさそうな気がしただけ。 しばらく経っても固まったように動かないヘルムートに、プッと噴出しケラケラとナギが笑う。 ヘルムートも咄嗟に「何だ冗談ですか、びっくりした」と頬を引き上げたが、もはや自分がうまく笑えているかどうかわからない。 それでもナギは何ら違和感を感じなかったのか、「もう一個ドーナツ食ーべよ!」と言うと、ヘルムートが持つ袋にガサガサと手を突っ込んだ。 その旋毛を見つめながら、ヘルムートは静かに思考を巡らせた。 今のは、何だ? 俺は、一体誰を、いや何を相手にしているのだ? 愚かな人間を嘲笑い、睥睨するかのような まるで 「何固まってんの?ヘルムートもも一個食べたい?」 漂うドーナツの香ばしい香りが、思考を現実へと引き戻す。 笑う彼はもういつも通りで、先のような雰囲気は全く感じられず、ヘルムートは一瞬の夢だったのかと思った。 けれどそこで、上司に言われたことが頭を過ぎった。 「注意しろ。彼は―――――」 トロイ様は知っていた。 元々、一筋縄ではいかないと思っていた任務だ。 ならば、これも想定内、か。 ヘルムートは内心の動揺を今度こそ完璧に押さえ込むと、覚悟を決めて腹を括った。 「何でもありません」 今度は本当の笑みを浮かべると、では「俺ももう一つ」と袋から取り出し、口元へと運んだ。 「あー!それ僕の!」という叫びを無視し、一口齧る。 ブーブー文句を言われたが、「また買ってあげますよ」との言葉でその機嫌は簡単に直った。 後は並んで、再びドーナツを只管頬張った。 それは何でもない、まるで一つの兄弟のような平和な姿だった。 |
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一瞬、彼の目が赤く光って見えた 彼が発した町の第一印象がふと頭に過ぎる 「血の匂いがする」 その光はひどく禍々しく、脳裏に焼きついて離れない 動乱の気が、近づいていた |
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| to be continue… |