++1.予兆++





僕は君と出会い幸せを知った


俺はお前と出会い救いを得た


幸せで穏やかな日々


けど僕は気付いてる


けど俺は知っている








 時は太陽暦455年、舞台はここトラン湖一帯を支配する赤月帝国。
 国家成立より、すでに224年もの月日が経過し、実に帝国暦225年目を迎えたこの年、ルーグナー家による皇帝位をめぐる継承戦争より訪れた安寧からわずか7年、永遠とも謡われる栄光を誇った赤月帝国に、各地より少しずつではあるが国としての腐臭が漂い、翳りが見え始めたこの頃、再びこの地に動乱の兆しが訪れようとしていた。
 そして皮肉にも、今となっては唯一の楽園とも言える帝国首都、グレックミンスターよりその芽は育ちつつあった。





「テッド!!」
年の頃は14、若草色のバンダナに深紅の胴着を身につけた少年が、緑生い茂る草原に横たわる青い物体に向けて勢いよく釣竿を投げつけた。
「危ねぇっ!」
 青い塊と思われたその物体はどうやら人であったようで、よく見ると青いのはここらでは珍しいその独特の衣装で、明るい鳶色の髪に琥珀色の瞳を持つそれはまぎれもなく人間の少年だ。先ほどの呼び名からして名はテッドというらしい。
「お前は俺の顔面を潰す気かっ、シュラっ!」
 続けてテッドは余裕綽々、してやったりの笑みでゆっくりこちらに歩み寄ってくる少年、シュラ・マクドールに向かって声を張り上げた。
「仕方ないだろう?テッドの家にいったら誰もいない、探しても中々見つからない。やっと見つけたと思ったら、暢気に寝転がってる。更に草ボーボーで苛々した」
 なんとも理不尽な理由で顔を失くしそうになったものだ。
 しかも最後のはテッドに全く関係ない。
 しかし、艶やかな深遠を思わせるような黒髪と滑らかな象牙のような白い肌に煌く紅玉の瞳を持つその姿は、育ちきっていない微妙な年齢のせいもあってか一見少女のようにも見え、その美貌が笑みの形をとると、自己中心的発言くらい軽く相手に受け入れさせる迫力を有している。
 とはいえ、さすがに間近で見れば体型は男のものではあるし、何よりそろそろ付き合いも2年になろうとしている親友である彼にしてみれば、それはもう見慣れたものでいちいち動揺するには及ばない。
 むしろ本性を知っているので、自分の外見が相手に及ぼす影響を利用するような性質の人間に、こんな容姿を与えた天の采配の理不尽さを嘆くだけだ。
 それに自分は凄みある美貌よりも、笑う彼の背後に渦巻くなにやら不穏なオーラと鋭い眼光の方がよほど恐ろしい。
 数年の経験上からいくと、これは苛々どころか本気で怒っている様子だ。
 それがテッドを下手に走らせた。
 こういうときはさっさと謝るに限る。
「悪ぃ、でも今日は俺とのんびりお散歩してる場合じゃないだろ」
 それでもテッドだってただお怒りを受ける気はない。
 テッドにだって自由を満喫する権利はある。
 加えて今日は理由もある。
 今日は親友の将来のための大事な日。
 なので黙って出てきたのは、表面上には出さねども緊張しているであろうシュラのために一人でゆっくり心の準備をする時間を与えてやろう、というテッドなりの気遣いからであった。
 まあ、親友の確かな成長に対するテッド自身の感傷もあるにはあったのだが…
「余計な世話だ」
 一刀両断かよ。
「ああ、無駄に疲れた。お前がじっとしてないから、貴重、気ままな最後の無職生活を満喫できなかっただろうが」
 シュラは理不尽全快のまま、改めて直撃コースではなく隣にバフッと倒れこんだ。
 だったら部屋でゆっくりしてろ。
 今度こそ怒鳴りつけてやろうと振り返り、はっと、気付いた。

 いつも涼しげである顔に浮かんだ隠し切れない汗と疲労の色。

 よくよく考えてみれば、この大事な日に自由な時間などそうそうあるはずはない。
 それなのに、こいつは許された限りある時間を自分と過ごそうと、今の今まで疲れるくらい必死に探してくれていたわけで。

 やべー、ちょっと…いや、かなり嬉しいかも。

「何にやにやしてる?」
「別にー」
 きっと無自覚なんだろうな。
 この天然タラシめ。
 突然一人笑いし始めた俺の心中がわからないシュラは、相当不可解そうな顔をしていた。
「変な奴」
「おお、変な奴さ」


 そこで会話は一旦途切れた。
 しばし無言で草むらに寝っころがったまま、並んで青い空に流れて行く雲を眺める。
 それはいつもの他愛もないやり取り。和やかな雰囲気。

 けど。

「本当は……」
「ん?」
「出て行く気だったんだろ?」

 たった一言で、空気が凍る。

 表情には出さねども、心の中でテッドの肩は確かにギクリと揺れた。
 確かに、思った。
 ほんの少しだが、このまま遠くへ行ってしまおうかと。
 けどそれを言ってどうする?
 また冗談ではぐらかすか?
 それとも――――




「冗談だ」

 ピシリ

 シリアスな思考は、満面の笑みによって破られた。
「おま、お前――!性質悪ぃぞ、本当……!」
 俺の冷汗を返せコノヤロー!
「ははは、何を今更」
 一遍、脳天かち割ってやろうかと竿を振り上げる。
 しかし、むかつくことにシュラはヒラリヒラリと軽く身をかわし、飄々とした態度で俺との距離をとる。
「お前一発くらい当たれよな!!」
「いやだ。テッド力はないけど、人体急所狙ってくるから」
「そうでもしなきゃ、お前は堪えねえだろ!一発くらいもらっとけ。大丈夫だ、当たっても脳がちょっと揺れるだけだから」
「いらん。アレは気持ち悪い」
 言い終わると同時に、シュラの姿が長い草の茂みの奥へと消える。
 それを追いかけようと足を踏み出したが、太陽が陰りだし、先まで長く伸びていたシュラの影を見失う。
 同時にシュラの気配が消える。
 突然、存在を感じさせなくなった親友の意図がわからず困惑する。
「おい、シュラ?」


 シュラがどこにいるのかわからない。
「テッド」
「何だよ?」

 声はすれども、姿は見えず。
 その声は、目の前から響いているような気もするし、間逆に真後から聞こえているような気もする。

 捉えられない。
 こんなにも近くにいるはずなのに。


「まだ出て行くなよ」

 !

 馬鹿だ。こいつは。
 わかってんじゃねえか、本当は。

 面と向かって、それを確かめられないのは、こいつの優しさであり、弱さでもある。
「バーカ。うまい飯にふかふかの布団をそう簡単に捨てられるわけないだろ?」
 軽口でかわす。ずっとそうして来た。この家の世話になるようになるずっと前から。
 だけど。



「……出るときは、ちゃんと言うから」

 こいつにはもう嘘はつかない。
 もう二度と、黙って出て行こうとしたりしないと、約束を、した。
 だから、俺はまだ行かない。
「そうしてくれ」




 雲の切れ間から、再び太陽が顔を出し、翳っていた草原に再び暖かな光が戻った。
 先ほどまでは蚊ほども存在を感じさせなかった親友が、ガサガサガサと大げさなほどの音を立てて、日の光の下にその姿を現した。
「さ、その話はもういい。釣りにでも行かないか?」
 シュラはつい先ほどの話など忘れたかのように無邪気に持っていた釣り竿を掲げる。



でも



「そりゃいいけど、もうそんな時間ないだろ?」
 テッドはそれを受け取りながらもシュラに注意を促す。



忘れてはならない



「わかってる」
 シュラは自分が手にしていたもう一本の釣り竿もテッドに押しつけ、素早く走り出す。



俺たちの日常は



「はぁ!?」
 テッドは意味不明なシュラの行動に、両手に釣竿を握り締めたまま叫ぶ。



ほんの小さな言葉一つで崩れ去るかもしれないことを



「預かっといてくれ。行くのは今日じゃなくて今度だ!」
 シュラは一度だけ振りかえり、さり気無く、不確かな未来への機会を繋げる。



そしてそのときは



「しょうがねえな。気を付けて帰れよ!」
 ダメだとわかっていても、それに縋ろうとしている自分がいる。



俺達の知らないところで



「心配性め。じゃ、行って来る。偉大なる皇帝陛下の謁見へ…!」



もうすぐそこまで迫っていた





 シュラの姿は遠ざかって行き、やがて見えなくなった。
「ばかじゃん、俺……早くここを出るべきなのに…いや出るべきだったのに……」
 右手を見つめながら何度もそう思った。
 あいつは何度か俺を引き止め、俺を試し、そしてチャンスもくれた。
 なのに、俺はあいつのそばを離れなかった……
 だったらせめて話すべきなのかもしれない。

 俺の秘密を。

 話したら今まで通りではいられないかもしれない。
 だとしても、このままでいいはずはない。
 何らかの形でけじめをつけなければならない。

 いつかは。


 いや、



 この呪いが、あいつを喰い尽くす前に……



 その時一陣の強い風が吹きつけた。それはまるでテッドのこの先の道の厳しさを暗示するかのようであった。




だけど

望まずにはいられなかった

もう少し、もう少しこのままで……と




to be continue…




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