++2.謁見++





 シュラは今バルバロッサ・ルーグナー住まう王城の一室にいた。
 初めて足を踏み入れるそこは、幼い頃から憧れを抱きつつ眺めてきたその美しいフォルムに違わず、皇帝と呼ばれる者の住いに相応しい輝きと美しさに溢れていた。調度品一つとってみてもその価値は計り知れない。
 ブルリ、我知らず体が震えるのを感じた。同時に自分が随分長い間、身動きさえ忘れ、見入っていた事実に気付く。
 どうやら自分は思っていたよりも緊張していているらしい。
 その震えに気付いたのか、これまで同じく無言で佇んでいた父がシュラの方へ意識を移した。
「どうした、緊張しているのか?」
 シュラの今の心情を的確に指摘すると安心しろ、とでも言うように普段引き締められている口元をわずかに緩めて見せた。
 そうだ、今自分は一人ではない。
 そのことを自覚した瞬間、急速に手足の硬直が溶けていった。
 シュラは安堵から表情も緩みそうになったところで、はたと我に返る。
 本番はこれからだというのに、こんなところで気を緩めてどうする。
 咄嗟に唇を引き締め、精一杯の虚勢をはる。
「いいえ、武者震いです」
「……そうか」
 父の声はわずかに揺れていた。隠し切れない笑みで。
「父上」
「ああ、いや…すまん」
 どうやら強がりはばればれだったらしい。
 恨めしげに非難の声を上げても、父の笑いは止まらなかった。
 内心の葛藤をあっさり見抜かれた気恥ずかしさで、頬に熱が集まる。
 部屋に響く父の微かな笑い声と僕の居た堪れない気持ちは、突然のノック音によって遮られた。続いてドアが開かれ、侍女が中の二人へ呼びかける。

「謁見の準備が整いました。こちらへどうぞ」
「行くぞ」
 先ほどまで平和に笑み崩れていた父の表情が、一瞬で引き締まる。
「はい」
 今度は虚勢ではなく、自然と父の厳粛な空気に呑まれていた。
 父に促がされ、控えの間を後にする。
 いよいよ……か


********


 シュラがテオと共にしばし歩みを進めると、これまでとは一線を隔した豪奢で大きな扉の前にたどり着いた。
 テオがその前に立ち止まると重厚な音を響かせ、その扉が開く。

 前を行く父の大きな背中。

 いつも、この背を目指し歩んできた。
 自分が今日まで知識を深め、武の腕を磨き、それこそ血の滲むような鍛錬を積んできたのは、いつかこの偉大なる父と共に並び、皇帝陛下を守る剣となるためだった。
 そしてこの邂逅こそが、そのための重要な第一歩。


 テオの後に続き、扉を潜り抜ける。




 肌がひりつく。
 扉を潜った途端、王室に控えていた臣下達、文官も武官も一斉にこちらに向かって視線を向ける。
 その視線に含まれるものは、警戒、敵視、興味本意。八方から常に向けられる、物を品定めするような目。
 それはまるで、視線で身体を焼かれそうなほどに鋭い。
 僕はあまり周りの視線は気にならない方だ。
 でも、さすがにここの空気の濃さには辟易とする。
 顔色を伺って生きるのは主義じゃないし、観察するのは好きだが、されるのは嫌いだ。
 従って、こういう貴族社会はあまり好みじゃない。
 こんなことを思う自分は、やっぱり王宮勤めには向いていないのかもしれないな、と少し思う。

 お前は誰かに遣えるなんぞ、向いておらんぞ。


 昔、師匠に言われた言葉だ。
 それでも向いている事とやりたい事は違う。
 例えこの空気が好めずとも、夢は昔からただ一つだ。
 ならば耐え、慣れてみせよう。
 今日からは、ここも戦場の一つなのだから。




 大勢の臣下が控える中、顎を引き、背筋を伸ばして真っ直ぐに進み出る。
 皺・塵一つない真っ赤な絨毯は、自らの足音を全て吸収していく。
 この王室では、足音一つ自由に刻むことも許されない。
 そんな些細なことでさえも、自分の身の小ささを改めて自覚させられる。
 皇帝の御前では、身を守る頑強な甲冑をつけることも、華美に自らを飾り立てる装飾を付けることもできない、父のオマケでしかない今の自分。
 しかし、そんなものは近く翻してやるさ。
 心の中でほくそ笑む。
 周りの視線は、いつの間にか気にならなくなっていた。
 気付けば、父の歩みは止まっており、その前方には皇帝が座する玉座に続く階段があった。
 テオがその場に膝をつき、頭を垂れて跪く。
 シュラも静かにそれに倣う。
「陛下、ご機嫌麗しゅう……」
 テオが口上を述べる。
「よく来てくれた、テオ。お前と会うのは半年前の出征以来だな」
 それに対し、テオとはまた違った、威厳を含んだ深みのある声が広間の隅々まで響き渡った。





 バルバロッサ・ルーグナー。

 今となっては皇帝一族ルーグナー家直系の血筋を受け継ぐ最後の一人。
 7年前の継承戦争では、腹心である帝国六将軍、青い月のカシム・ハジル、百戦百勝のテオ・マクドール、ニ太刀いらずのゲオルグ・ブライム、花将軍ミルイヒ・オッペンハイマー、水軍統領キラウェア・シューレン、鉄壁のクワンダ・ロスマンという強大な戦力を有し、軍師の名門、シルバーバーグ家のレオンを従え、叔父のゲイル・ルーグナーとの帝位継承を賭けた内戦で、見事玉座を守り抜いて見せた。
 しかし安堵する間もなく、今度はジョウストン都市同盟との間に国境紛争が勃発する。
 その頃、主力の一角を担っていたゲオルグ・ブライムは既に帝国を去っており、国家の情勢的にも最も混乱が生じていた時期であった。そんな不利な状況であったにもかかわらず、バルバロッサは決して動じることはなく、継承戦争の勢いのままに勝利を収めた。
 この後数年後に、キラウェア・シューレンが事故で命を落とすという不幸な出来事があり、再び帝国将軍に欠員が出たが、既に将軍としての頭角を表し始めていた娘のソニアが水軍を率い、活躍を見せ、立派に母の後を引き継いで見せた。
 ゲオルグの後継が新たに定められなかったことは、先の問題の種となると思われたが、バルバロッサはそれを見越し、帝国の要所五ヶ所をそれぞれの将軍に任せ、現在の帝国五将軍の形を明確にすることで安定させる方策を採った。
 バルバロッサの覇王としての威厳は以降決して揺らぐことはなく、その後の戦乱の傷跡をわずか数年で回復させるに至った。
 人々はその手腕を褒め称え、いつしか彼を指し、こう呼んだ。





黄金の皇帝、と。





「そうか、ではやはりテオ、お前には北方の守りについてもらおう」
 バルバロッサの動く気配がし、それによってシュラの意識は引き戻される。シュラがこれより自分の主となるバルバロッサに思いを馳せている間にもテオとバルバロッサのやり取りは続いていた。
「お前に信頼の証として我が愛剣プラックを授ける。見事ジョウストン都市同盟より我が国の領土を守って見せよ」
 バルバロッサは立ちあがり、自らの腰元より帯刀していた一振りの大剣を外すと、それを手ずからテオへと差し出す。
「光栄にございます。このテオ、必ずや陛下のご期待にお応え致します」
 テオは恭しく拝礼しそれを受け取る。バルバロッサはそれを見届けると、今度はシュラの方へ顔を向けた。
「さて、待たせたな。テオの息子よ、面を上げよ」
 シュラが毅然と顔を上げる。その整いすぎた造形を見て周囲のものたちは思わず息を飲む。
「名は?」
「シュラ・マクドールと申します」
「母サラに似たな」
 バルバロッサは厳めしい相貌をそのままにシュラの顔をじっと見つめた。シュラもまたその視線を逸らすことなく粛然と受けとめる。
「だが眼はテオそっくりだ」
 しばらくして、ようやくその表情を和らげると満足そうに頷いた。
 しかしシュラは心の中で訝しげに眉を顰めた。
 前半の言葉は理解できる。
 昔から母を知る人物には必ずといっていいほど言われてきたことだからだ。自分でも「だろうな」と思った。実際、それほど彼の容貌は母に生き写しである。
 だがそれ故に、シュラがテオ譲りの武の才を発揮する際や剣の太刀筋以外で父に似ている、などと評された事はほぼ皆無と言っていい。
 性格も世間一般からは大人しいと評され、優等生然とした人間として認識されている。
 その優雅な物腰は無骨なテオとは似ても似つかないとされ、世辞でも滅多に言われない。

 そして何より、眼。

 いつも一目で母と親子であることを知らしめるのが、この色だ。
 この近辺では、赤い眼を持つものなど他にはいない。
 眼こそ最も色濃く、あの母を受け継いだと言うのに。

 自分はよっぽど不可解そうな表情をしていたのだろう。
 バルバロッサは心中を読み取ったのか笑って続けた。
「表面的なことではない。その奥に秘められた強い意思がテオのそれと重なる、ということだ」

 父に似ている?

 自分が?



 純粋に、驚いた。
 確かに穏やかだった母よりも、自分の気質は父に似ていると言えるだろう。
 まぁ父より多少捻くれている自覚はあるが。
 しかしこれまで家族や師匠以外に、その本性を見抜かれたことはない。
 シュラの余所行き仕様の静かな表情の裏に隠された意外な苛烈さを知るものはいなかった。
 しかし彼の慧眼は初対面でそれを見抜いた。

 黄金皇帝の名は、やはり伊達ではない。

 シュラは素直に感嘆した。
「しかし――お前には更にテオにはない輝きが宿っているようにも思えるな」
 父になく、自分にあるもの?
 父は偉大な将だ。
 欠けているものなど、自分には見えない。
 一瞬の逡巡。
 シュラの観察眼が皇帝から逸れた。
 偶然か、はたまた必然か。
 その間、皇帝の瞳に過ぎった微かな空虚さと陰りを、シュラが見ることはなかった。
「では、シュラ・マクドールよ。お前は近衛隊配属が既に決定している、ウィンディ」
 バルバロッサは傍らに立つ、数年前より宮廷魔術師として自分に仕えているウィンディに先を任せる。
「シュラ・マクドールの配属先は近衛隊第八隊長クレイズとなっておりますわ」
 ウィンディも澱みなくそれに応じる。
 シュラの頭に疑問がよぎる。

 何故ただの宮廷魔術師であるウィンディが、新兵とはいえ、その任官先を管理しているのか?

 皇帝陛下は今は亡き愛妃クラウディアに似た彼女に大変な寵愛を注いでいる、との噂を聞いたことはあった。
 しかしまさか、政務に携われるほどの権力までも与えているのだろうか?
 怪訝に思いチラと父のほうを伺えば、彼はクレイズの名に一瞬眉を顰めただけでそれ以上の反応は見せなかった。
「早速明日より従事してもらうこととなる」
 バルバロッサの方は当たり前のように先を進める。
 そこで初めてウィンディは、シュラの方へ注意を向けた。
「綺麗な坊や、陛下の力となって差し上げてね」
 自然と強張ったシュラの表情を、緊張のためととったのか、ウィンディは続けてシュラを労うように優雅に微笑みかけた。




「……そう、この赤月帝国の更なる発展の為に、ね」



 ゾクッ



 彼女の笑みは確かに話に聞いた通り美しい。
 だが、その瞳に浮かぶのは慈愛ではなく…むしろ――――。

 一瞬で、肌が粟立った。




「どうした、シュラ」
 心配げな父の声に、自らが無言で立ち尽くしている事実に気付く。

 ちっ、失態だ。

 即座に体裁を取り繕い、深く、深く頭を垂れた。
「はい、陛下の御為、このシュラ・マクドール、全力を持ってお仕えさせていただきます」
 夢にまで見た皇帝への宣誓。
 自らの全てをかけて誓うことになると思っていた。



 しかし。



 自分が何度も思い描いてきた忠誠と、この時の気持ちが全く同じであったかどうかは。




 その時の自分にはよくわからなかった。

 結局、それに答えは出ないまま謁見は終了する。
 簡単な挨拶とテオの遠征の激励の後、マクドール親子は広間を退出し、王城を後にした。







これが黄金皇帝バルバロッサ・ルーグナーと


後の解放軍軍主シュラ・マクドールの





生涯たった二度に渡る邂逅の、一度であった





to be continue…




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