++3.最後の晩餐++





 マクドール親子は謁見を終え、家への帰途についていた。
 壕に架けられた跳ね橋を渡り、大通りをぬけ、王都の中央でこの町を象徴する黄金の女神像の前を横切ると、シュラの視界はもう既に自分の住みなれた我が家を捕らえていた。
 豪邸立ち並ぶ貴族住宅街の外れに位置するその大きな屋敷は、あまり飾り気が無く少々無骨な印象を与えるが、その分他の華やかな屋敷より落ち着きがあり、またどこか暖かな空気が漂っていた。
 シュラは元金だと思いつつもそれを見て、心から安堵する自分を感じていた。
 シュラは昔からこの家が好きだった。
 この家は時々精神的に安定を欠きがちだったシュラに、いつも安定をもたらしてくれるからだ。
 それには多分、帝国創立以前から時代によって当主の地位や建物こそ変われど、貴族として長年その地に根を張ってきたこの家の持つ、その揺らがない堂々とした雰囲気も関係しているだろうし、しかし何よりここには自分の大切な家族たちがいる事が、最も大きな要因だろう。




 シュラの血の繋がった家族はテオのみだ。
 マクドール家は元来あまり子宝に恵まれない家系だった。
 本家貴族の純血は当に失われ、分家筋から養子を迎え、なんとか血筋を繋いできた。貴族としての血がかなり薄まっている為、現在は貴族というより、武人家系としての認識の方が強い。
 そんなマクドール家の現在といえば、祖父は戦で、祖母も母も病で早くに亡くなっており、いずれもあまりシュラの記憶にはない。
 だから今現在シュラにとっての家族は、父を除き血の繋がりのない者達グレミオ、クレオ、パーンにテッドの五人で形成されている。
 けれどもそれを不満に思ったこともない。彼らはいつもシュラが彼らに思うようにシュラのことを大事に思ってくれている。
 いやむしろ思われすぎて時に周りが驚くくらいだ。特にこの男にいたっては。



********



 屋敷に到着し扉を開けると、執事が出迎えるより早く一人の男がドドドと突進してきた。
「坊ちゃーーんっっ!!」
「グレミオ」
 そう、いわずと知れたこの家の名物、シュラ命のグレミオだ。
「ど、どどどどうでしたか?!坊ちゃん、皇帝陛下の前で何か失礼なことはしませんでしたか?!」
「大丈夫だ。つつがなく、無事終わったからとりあえず」
「はい?」
「離れろ」
 はっきり言って、お玉片手にエプロン姿のいい年した男に詰め寄られるのはぞっとしない。
「あああ、すいません!でもさすが坊ちゃんです!御立派です!坊ちゃんをお育てして十年、こんなに御立派になられるとはグレミオは感激です!」
 距離さえ取れれば、問題ない。
 本当に薄っすらと涙を浮かべるグレミオの激励っぷりを、シュラはいつものことと軽く受け流した。
 グレミオはシュラが幼い頃からの世話役で、明るく長い金髪をいつも肩の辺りで束ねている。
 体格は逞しいと言うよりはひょろ長く、優しげな顔だちをしており、唯一頬の十字傷だけがその穏やかな雰囲気を裏切ってはいるが、気質も柔和で気のよい男なので、使用人達からも慕われている。
 だが、「いかんせんこのシュラへの度を越した過保護さだけはどうにも……」というのが皆揃っての言だ。
 そして久しぶりにそれを目の当たりにしたテオの顔は、若干引きつっていた。
「ま、全くお前はシュラの事となると夢中だな」
「あ、テオ様。いたんですか?」
 グレミオはまさに今気付いた、という風に驚いてテオの方に顔を向けた。
 いや、実際気付いてなかったのかもしれない。
「いたんですかとは何事だ!」
 グレミオ恐るべし。
 ここまで見事に当主をスルーできるとは。ある意味、自分よりすごい男だ。
 シュラは思わず感心していた。
「シュラ、グレミオのこれはもう少しどうにかならんのか?」
「何を今更。大体グレミオを"坊ちゃん一番"にしたのは父上でしょう?」
 父がほぼ傍にいない分、グレミオがそれを補い続けた結果である。
「………………」
「痛いところを突かれると黙るのは父上の悪い癖ですよ」
「……だがお前ももう14だろう。世話役がここまで過保護で気にならんのか?」
「いいえ、別に」
「ですよね、坊ちゃん!」
 特にシュラは困らないし、グレミオも満足しているので。
 両者の関係は、問題なく完結していた。
「お前達……」
 弱りきった顔をしたテオを見て、一矢報いたとシュラは溜飲を下げた。
「応接室で、いつまでも僕を笑い続けた仕返しですよ。父上」
 で終わらせようとした。が。
「少し見ないうちに、お前はまた性格が悪くなったか」
 ピクリ
「おかげさまで。日々狸どもに鍛えられて、順調に逞しくなってますよ」
 父の率直な、だが不用意な一言で、シュラの闘志に再び火が灯った。
 父と子の間で火花が散る。
「テオ様!なんてことをおっしゃるんですか!?」
 だが均衡は、すぐに崩れた。
「グレミオ」
「坊ちゃんの性格が悪いなんて!そんなことあるわけないじゃありませんか!坊ちゃんは日々真面目に政務に励まれ、勉学に勤しみ、鍛錬も欠かすことはありません!!そんな坊ちゃんのどこに!そんな要素があると言うんです!!いくらテオ様でも坊ちゃんへの暴言はこのグレミオが許しませんよ!!!」
 ふんっ!鼻息荒くもシュラの前に立ち塞がるグレミオと、その後ろで優越の表情を浮かべる愛息子の姿に、ついにテオが折れる。
「グレミオがついたお前には、私でももう敵わんな」
 百戦百勝の将軍も、家の中ではこうして息子と世話役のタッグには度々敗北を期するのであった。





「おかえりなさいませ、テオ様、シュラ様」
 玄関先での騒ぎが収まるのをまるで見計らったかのような絶妙なタイミングで、廊下の奥より一人の壮年の男が静かに姿を現した。
「ザハか。今帰った」
 広大なマクドール家を総括・管理し、土台を支える執事である彼はいつも動じることがない。
 ザハのいつも通りの対応をきっかけに、テオも即座に当主としての威厳を纏いなおした。
「私が留守の間、何か変わったことはあったか?」
「いいえ、全て恙無く」
 テオが外した謁見様の高級な絹で編まれたマントに皺一つ残ることがないよう、ザハは折り目正しく受け取り、それを背後に控えたメイドに託す。
「そうか。私は陛下の命でまた明日から遠征に行くこととなった。早朝までに準備を整えておくようアレンとグレンシールのもとに伝令を出しておいてくれ」
「かしこまりました」
 ザハはテオが最も信頼する2人の副官の同行から遠征が再び長期に渡りそうな気配を察し、優秀な執事らしく瞬時に必須書類を頭に思い浮かべた。
「では、今日中に溜まった書類の処理をお願い致します。急ぎのものとしては各領地より届きました今月末の税金納入報告書の件。認定の方は既に当主代理としてシュラ様によって完遂致しておりますので、御目通りの方だけよろしくお願い致します。加えまして、第三区よりは来月の減税嘆願書も届いていましたので、シュラ様に過去の記録を参考に不況により予測される被害に対する減税目録の整理の方もしていただいておりますので、そちらのご判断の方もお急ぎ下さいませ」
「わかった、夕食までに片付けよう」
 主に報告を終えたザハは、シュラに明日よりの政務の方針と来客の旨を告げると準備を整えるため執務室の方へ消えていった。
 テオも息子に「いつもすまんな」と労いの言葉をかけ、夕食を共に取る約束を取りつけると着替えのため自室へと去っていった。
「来客?」
 ザハが名を告げなかったのでシュラはグレミオに尋ねた。
「約束してたんじゃないんですか?テッド君ですよ」
 だからザハさんも名前まで言わなかったんじゃないですか?と続けるグレミオに、シュラは「覚えがない」と怪訝そうな顔をしながらも二階へと向かう。
 階上に着いたところで、微笑ましげに見ているグレミオに対し、お玉を指差し「鍋は?」とニヤリと問いかけ、グレミオの「ぎゃあああ、シチューがああっ!」と言う叫びが響くと言う楽しい日常の一幕は、当然他の家族の元にも届き、皆が笑みをもらすこととなった。



********



 シュラが自分の部屋へ入ると、そこにはまるで自身の部屋であるかのようにベッドで寛ぐテッドの姿があった。
「よう、お帰り、シュラ」
 テッドの軽く手を上げる挨拶にシュラは目を眇めた。
「また部屋を片付けたな」
 挨拶を返されるどころか、積もった埃を払うようにベッドから追い出されたテッドは、相変わらず自分のテリトリーには厳しい奴だと呆れる。
「俺じゃねえよ。来たときには既にこうなってた」
「またグレミオか」
「だろ?お前の主張を無視できんのってグレミオさんくらいじゃん」
「片付けるなといつも言ってるのに」
「馬鹿言うな。グレミオさんが片付けないとこの部屋やばいことになるじゃねえか」
「やばくはない。僕はどこに何があるか把握している。だが片付けられるとどこに何があるかわからん」
「いやわかりやすいだろ。この上なく、一目見てわかるように素晴らしく整理整頓されてるじゃねえか」
「読みかけの本はどこに行った?」
 どうやら先ほどベッドの上から払われたのは、本を探していた為らしい。
「本棚見ろよ」
「面倒くさい。代わりに探してくれ」
「自分で探せよ、ったく」
 言いながらも、次には「読みかけだったなら多分こいつのことだから枕の上に開いて放置してたはずで、グレミオさんなら栞を挟んでわかりやすい机の本棚に」とか推理して見事に発見してしまっている。
 案外ズボラな性質の人間を親友に持ってしまった者の悲しい性である。
 ちなみにそれを命じた親友殿は、隅っこに寄せられた謎の巨大な部族の族長チックな木彫り像を、ベッドの隣に運びなおしている。

 いつ見ても呪われそうだ。

 これを部屋の守り神よろしく、位置を決めて飾っている意味が相変わらずわからない。
 本人曰く「守り神云々ではなく芸術」らしいが、その感性にはさっぱり同調できそうにない。
「これか?」
「そう、それだ。助かった。やはり探し物はテッドかグレミオに頼むに限るな」
 なるたけその木彫り像と眼を合わさないようにしながら、本を枕の隣に戻したところで、漸くテッドは再度ベッドに腰掛けることを許された。
「で、どういう魂胆だ?」
「魂胆?」
「別れたさっきの今で、態々家まで、それも頭の痛くなる僕の部屋まで訪ねてくるなんて、用がない限りしないだろう、薄情なお前は?」
 シュラは朝のことをまだ根に持っていた。
 どうやらその点に関しては、父に似ず、執念深い性質らしい。
「ひでぇ言いよう。まぁ、魂胆はあるけど」
 薄情なのは否定できない事実でもあるので、テッドは苦笑いしつつも、軽くそれを受け流す。
 ちなみに頭の痛くなる部屋の原因は、壁にずらりと並んだ、小難しい本がぎっしり詰まった本棚達のせいである。
 更に言うと三回に一回の割合で、その本達は本棚でなく、部屋の主の意向で自由にベッドや床を埋めている。
「で?」
「まぁそう急くなよ。それは後にして、とりあえず謁見はどうよ?皇帝陛下はやっぱすごかった?ウィンディ様は美人だったか?」
 テッドの好奇心丸出しの矢継ぎ早の質問を前にシュラは今日の王城でのことを思い出す。




 皇帝陛下自身は確かに圧倒的な存在感を持ち、幼い頃からの憧れを具現化したような威厳あるすばらしい方だった。
 近衛隊入隊という新兵には身に余るほどの栄誉も頂いた。
 それはシュラに輝かしい未来を示すものだった。

 …のはずなのだが、どうにも違和感が拭えない。
 まずシュラは先ほどウィンディに抱いた不気味さが頭をちらついた。更に王城を下る前に上官に挨拶を、と寄った先にいたクレイズはと言えば、初対面でありながら現われたシュラに対し不躾な視線を送り、「マクドール家の息子だからといっていい気になるなよ」などとあからさまな言いがかりをつけて来る始末。
 ここでは自分が上だと言わんばかりの見下した態度には心底辟易とし、自分だけでなく帝国自体の先行きの暗雲に機嫌は一気に急降下した。
「おい、また余計なこと考えてんだろ?」
 その言葉にシュラは正気付いた。
「俺は謁見の感想聞いただけだぞ。そんな眉間に皺寄せるほど難しいこと聞いてねーだろ?」
 またやったか。
 自分の悪い癖だ。考えすぎて、時折肝心の物事を見失う。
 それは常々テッドから指摘され、気をつけていたのだが。

 帝国は広大だ。
 こう長年続いていれば多少の膿が出ることくらいある。自分はわかっているはずだ。
 そう、現に皇帝陛下の輝きに嘘はなかった。
 ならば、疑いを抱くなど馬鹿げたことだ。



 そう。

 この感覚も、ただの思い過ごしなのだ。
 自分は今考えすぎてナーバスになっている。

 そのせいだ。
 そうでしか、ありえない。


 シュラは気を取りなおし、テッドに王城内部の美しさや皇帝陛下の偉大さ、上官の厭味さについて語ってみせた。

 しかしウィンディのことだけは、思い出すだけでどこか気味が悪く、話題に上げることさえしなかった。


 まさか後にこのことを自身が死ぬほど後悔するとは知らずに……






 テッドはシュラが大喜びのあまり小躍りして帰ってくることはないことを、ある程度予測していた。
 元々、そんな反応はあまり想像できないが。
 今の赤月帝国は正直言って、シュラが夢見ているほどお綺麗な状態ではない。
 はっきり言って、外では山賊や湖賊などがのさばり、近頃では反乱軍なるものまで現われているらしい。
 グレッグミンスターは未だ表面的には美しさを保ってはいるが、王城内ではきっと当然のように汚職などが横行しているに違いないだろう。
 国が腐るときは大抵内側からなのだから。
 だから今、シュラは城に上りきっとその現実を目の当たりにして、期待はずれで密かにショックを受けているのだろう思っていた。

 が、どうも様子がおかしい……

 この親友は理想に幻滅し、侮蔑したり、憤ることはあっても、およそ意気消沈するということとは無縁な男だった。増してそれを簡単に悟らせることは。
 しかし今、彼の目は珍しくも不安の色を帯びている。

 テッドは何か嫌な予感がした。

 が、それが返って迷っていたテッドの決意を固めさせた。
「なぁ、シュラ」
 躊躇いつつも、かねてより秘めていた考えの一つを提案する。
「何だ?」
「一生のお願いだ!俺も一緒に隊に入れるよう頼んでくれよ!!」
 自分を拾ってくれたテオ様に恩返しをしたい、という名目で必殺の『一生のお願い』でもって頼み込む。
「魂胆って、もしかしてそれのことか?構わないだろう、別に。父上は信頼できる者を従者としてなら何人付けてもいいとおっしゃっていたし、グレミオもクレオもパーンも行くんだ。今更一人くらい増えても大して変わらない」
 テッドが来てくれると僕も楽しいしな、ニヤリといつも通りの若干嫌な笑みを浮かべるシュラに、一応感謝の意を述べる。

 テッドは最近シュラの周りに漂い始めていた不穏な気配が更に強くなっているのを感じた。
 手遅れということだろうか?

 だとしても決して諦めるわけにもいかない。
 ならば今のテッドに出来ることは唯一つ。

 同じ道を歩み、すぐ傍で自分の手でシュラを守ること。

 抵抗なんて無駄かもしれないが、いざとなればこの忌まわしい右手に宿るものを使ってでも――
 決意は固い。

 だからこそ、テッドは後もう一つ告げねばならなかった。
 これ以上真実を隠しておけば、いざという時支障が出かねない。
 全力で守るなら、全てのカードの存在を示しておかなければ。
 でなければ、こいつは決して俺より後ろに下がらない。


「なぁ、シュラ、話したいことがあるんだ」
「何だ?」
 口の中が乾く。
 動機が止まらない。
 でも隠したままにもしておけない。
 でももし……


 もし、こいつに突き放されたら……?


 俺は、どうするんだろうか?
「……」
 シュラがテッドの顔をじっと見つめ、発する言葉を静かに待っている。
 テッドが口を開こうとしたそのとき……

「坊ちゃーん、テッドくーん、ご飯ですよー」

 グレミオの夕食を告げる声が響いた。
「ま、話はいつでも出来るしな。さぁ、メシだ、メシだ!今日はきっと豪勢だぞ!」
「お前、本当は家の夕飯狙いだったんじゃないのか?」
 嘆息するシュラの背を叩きながら、部屋の外へと促す。


 言えなかった。

 けれど残念だとも思えなかった。

 これではいけないと思いつつ、告げずにすんだことへの安堵の気持ちも押さえ切れない。
 複雑な心境のまま、テッドはシュラと共に足早に食堂へと向かった。



********



 シュラたちが食堂へ駆けつけるとそこにはすでに皆が顔をそろえていた。
 二人もすぐに席に着く。
 テオが音頭を取り、それに合わせて皆がグラスを掲げ乾杯し、久々の家族揃っての晩餐が始まった。



 テオ。
 彼はシュラの近衛隊入隊を皆に発表し、父として息子の立派な成長ぶりを称えた。
 しかし一方で一国の将軍らしく忠誠を誓ったからには、シュラという一兵士として帝国の為に励むよう息子を律するのは忘れなかった。
 誰よりも強く、厳しい将軍であったが、たった一人の息子へ垣間見せる愛しげな笑みは紛れもなく父としての姿だった。



 グレミオ。
 彼はまたも懲りずに、シュラに与えられた栄誉に感激し、これからも一生付いて行くのだと息巻いた。
 物心ついたときからずっと自分の世話を焼いて、実質自分を育てたもう一人の親のような付き人。



 クレオ
 頑張りましょうね、と励ましながらでも無理は禁物ですよ、と女性らしく心配する面も持っている。
 父の部隊では女性ながらも凄腕の飛刀使いの戦士だが、家では姉のように時に母のように、シュラを温かく厳しく見守ってくれた。



 パーン。
 いつもの如く大飯をかっ食らいながら、「でかい手柄を立ててやりましょう」と熱く振り上げる腕は太く、そして逞しい。
 彼もまた父の部下で、戦場では彼の武器である豪腕は骨をも砕くと言われており、その眼光は鋭い。
 しかし普段の彼はひたすらよく食べよく寝る出来は悪いが、頼もしい兄そのものだ。



 そしてテッド。
 テオの「シュラのよき友でいてやってくれ」という頼みに対し「もちろん!こんな根性悪、俺くらいしか友人は務まりませんからね!!」と満面の笑みを向けている。
 食事が終わったら覚えていろ。
 2年ほど前に父が戦災孤児として引き取った少年。
 家に来たばかりの頃はただただ険悪の一言だった。上っ面だけの彼の笑顔が癇に障ってしかたなかった。
 あの頃は彼がこんな風に笑う日が来るとは思ってもみなかったが。
 今となってはもう自分にとって欠かすことのできない存在であり、無二の親友となった。





 この時、皆の心の内に不安がなかったわけではない。
 だが、家族で過ごす和やかな晩餐は、それら全てを飲み込んで余るほど暖かな雰囲気を醸し出しており、自分達の間にある血を越えた絆を互いに強く感じた一夜だった。





 しかしやがては楽しかった晩餐も終わり、テオの明日が早いこともあり、皆早々に眠りについた。
 そして明け方、二人の男が深い眠りについているシュラのもとを訪れていた。

 男、グレミオの「起こしますか?」と言う問いかけにもう一人の男、出陣の準備を整えたテオは何気なく「いや、よい。また会えぬ別れでもなし」と否定を返すと、今日よりまたしばらく見ることがないであろう自分の一人息子の枕元に、無言で立ち尽くした。

 思えば、自分はこの子にどれだけ子供として接してやっただろうか?

 遠征が増え、家を長期で空けがちである自分を助けるため、1年前より当主代理として実質マクドール家を支え始めたシュラ。
 多少穿ったもののの見方をする子だが、それも視野の広さ深さ故のこと。
 親の欲目を抜いたとしても文武両道で気立ても良い、自慢の息子であることは間違い無い。
 幼い頃は帝都の内情が安定しておらず、忙しさゆえ子育てはほぼグレミオに任せきりだった。
 ある程度成長してからもそれは大して変わることなく、その教育はほぼ家庭教師や、信頼のおけるそれぞれの武に応じた達人に委ねきりで、最近はろくに直接稽古もつけてやっていない。
 だが何よりも問題なのは、自分が思い出すのが辛いという理由だけで、この子が最も気にしているだろう母の事を、少しも話せてやっていないということだろう。
 父に気を遣っているのか、息子は自ら母のことを口に上らせることはなかった。

 自分はつくづくダメな父親だ。

 テオは我が子の幼さの残る寝顔を見つめながら呟いた。
「昼はもう14と言ったが、まだ14……まだまだ子供だったのだな、お前は」
 テオは我が子の頭を優しく撫であげた。
「この遠征が終わったら、久しぶりに皆で遠乗りにでも出かけるか……その時には、サラの話もしてやらねばな」
 テオのその言葉に、グレミオはテオの息子に対する確かな愛情を感じ、そのことを知らせた時に見せるであろうシュラの心の底からの笑顔を思って、ただただ明るい未来への希望に胸を満たした。



********



「アレン、グレンシール。陛下は変わられたと思うか?」
 夜明け前、一つの屋敷の前で密やかに交わされる会話。
「それは…」
「我々には、判りかねます」
「愚問だった、忘れてくれ……出立しよう」
 赤と緑のマントをを羽織った二人の男は一際大きな影に律儀に敬礼し去っていく。
「だとしても、私は…………」
 その呟きは誰の耳にも届くことなく、ただ朝焼けの月だけが静かに影を見守っていた。




僕たちは思ってもいなかった

これが家族全員で過ごす最後の晩餐だったとは




to be continue…




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