++61.忘却++





「経過はどうだ?」
 少年を拾ってから日課のように毎日暇を見つけては律儀に医務室まで訪ねて来るトロイに、船医は申し訳ないと思いつつもその問に今日も同じ応えを返すことしかできなかった。
「何ら変わりはありません。脈拍、呼吸共に少々脆弱ですが、相変わらず正常に入る程度のものです」
 予想していたとはいえ、本当に何の代わり映えもない返答にさすがのトロイもその柳眉な眉を顰めた。
「この子供、本当に生きているのだろうな?」
 心臓が動いているのだから生きていることは当然分かっているのだが、少年が拾われて今日で四日が経つ。
 しかしその間彼は意識を回復させるどころか、指一本動かした形跡がない。その様はトロイに生死の判断を危ぶませるには十分な要因であった。
「ええ、生きているのは間違いありません。あの惨劇に巻き込まれた割には外傷は一切見受けられませんし、むしろこうして目覚めないことが不思議なくらいです」
 しかし医者として冷静に判断を下せばこれ以上手の施しようがなかった。それでも敢えて「異常がないのか」と問われれば「異常がないことが異常だ」と答えるしかない。
 実際この医者はよくやってくれている。何の異常もなく、何の変化もなく、ただ寝ているだけの患者に仕事がない限り毎日付き添ってくれているのだから。彼を責めるのは筋違い、とトロイは己の根気のなさを叱咤する。
「せっかくの休憩中に邪魔をしてすまなかったな。よければまた引き続き本来の仕事に支障がない程度に彼を見ていてもらえるか?俺はさすがにもう様子を見に来ることはできないだろうからな」
 既に第一陣はオベル侵攻を開始している。そしていよいよ明日にはコルトンの第二艦隊と自分の第一艦隊も合流して本格的に占領に移る手筈になっている。いつまでも他に意識を飛ばすことはできない。
 トロイは一先ず少年のことは念頭より外し、作戦の最終確認を行うため急ぎ足で会議へと足を向けた。


********


 同じ頃、罰の紋章を狙った三人の襲撃者の証言によりクレイ商会の真の狙いを知らされたアキトは憂鬱な気分で洞窟への帰途についていた。
 共に話を聞いた仲間達は引き続き仲間を集めるため町へと繰り出している。アキト自身は王なりの気遣いだろう。今日はこのまま帰宅するよう命じられていた。
 けれど早くもそれを受け入れたことを後悔している。
 することが何もないというのは苦痛だ。
 昔は自由な時間などほとんどなかった。だから今もただ休めと言われても周りへの申し訳なさが先に立ってしまう。

 あなたの存在が我が国に災いをもたらしているのですから!

 先のセツの声が耳に蘇った。

 俺達はこの国に命を救われた。皆にはまだ帰る場所がある。でも俺にはもう帰る場所はない。

 ならばセツさんの言う通り、俺は拾われたこの命を賭してこの国を守るためにもっと力を尽くすべきなのではないのだろうか。

 ドォォォォン……

 突然地が揺れた。
 何だ?!
 反射的に音がした方角に目を向ける。町の方からだ。
 あそこには暴発を起こすような危険物はないはず。ではその発信源は内ではなく……
 外か!
 鋭く海を見やる。
 そこには何時の間に領海に侵入していたのか。数隻の船が砲台を掲げ、更にこちらに接近して来ようとしていた。
 あの旗はクールークの……!
 早い。
 予想はしていたが、それよりもずっと早かった。
 クールーク軍はイルヤを落とすと同時に既にオベル占領へと動き出していたのか。
 群島が対策を講じる前に邪魔な芽を少しでも多く摘んでしまおうということなのだろう。
 まずい。
 オベル一国の装備では、到底クールークの侵攻を防ぐことなどできない。

 このままではオベルが落とされる。

 あなたがそんな紋章を使うことなんて、望んでいないわ。父も、私も。

 フレア王女。貴女の気持ちはとてもうれしかった。だけどやはりそれは違うと思います。力があるのなら、それは惜しむべきではないのです。グレン団長がそうしたように。
 すべきことを成さなければ。
 ヌシガニを倒したときよりもっと強く強く左手に力を集中させる。
 視界を焼き尽くす凄絶な光が放たれた。



ドクン


「んん?」
 近々始まるであろう戦闘に備えて、包帯・薬品など在庫表と見比べ、順調に備品の確認を行っていた船医が突然少年の方に視線を向けたのを見て看護助手として手伝いに来ていた船員が不思議そうな顔を向けた。
「どうかなさいましたか、先生?」
「いや、今少年が少し動いたような気がしたんだが」
「え?!」
 船員も慌てて振り返る。しかしそこで見たのは大人しく懇々と眠り続ける少年の姿。
「そうですか?僕にはさっきと変わりなく見えますけど」
 その船員の言葉に船医はもう一度注意深く少年を見つめる。言われてみれば確かに変わっていないような気もする。
 こうして見ていても再び動く気配はない。やはり気のせいだったか?
 首を傾げつつも、船医は再び書類に目を戻し業務の全うに意識を集中した。



来よ

失われし魂よ、疾く来よ

我が許へ


集へ




 しかし布団と手袋の下に隠されたその右手は、発動した罰の紋章に呼応するように赤黒き鈍い光を放ち続けていた。




「先陣が全滅しただと?」
 突然齎された予想外の報告にトロイは一瞬我が耳を疑った。
「はい……ほとんどの船は沈みました。かろうじて残った船もかなりの損害を被っています」
 伝令に来た男自身も信じられないという表情を隠しきれない。
「一体何が起こった?」
「それがいまいちよくわからないのです」
「どういうことだ?」
「残ったのは比較的後方にいた船ばかりでして。その者達の話によりますと攻撃を行ってきた岸壁は見る限りでは兵器のようなものの存在は見受けられず、ただ突然壮絶な光が放たれて気がついたときには壊滅状態であったそうなのです」
「小型の強力な兵器でも開発したのか?」
「オベルにそのような技術があるとは思えませんが」
 トロイはしばし考えるように額に手をあてる。
「事実はわからんが実際被害が出ているのだから無視することはできまい。とにかくその兵器の発射されたと思われる岸壁には特別に注意を払うよう見張りの者に伝えておけ」
 伝令は内容を即座に復唱すると足早に司令室を出て行った。
「謎の兵器か……オベルの王は一筋縄ではいかないらしい」
 誰もいなくなった司令室でトロイは一人静かに闘志を燃やした。


********


「してやられましたな」
 宮殿は落ちた。これより本格的なオベル全域の占領の体勢を整えるためトロイ達は一時的に船へと帰還していた。
 時間が空き、早速司令室にやってきたコルトンは今回の作戦の唯一の汚点を思い出し、嘆きやった。
 翌日、第一第二艦隊はオベルを攻め入ったが、トロイの言葉通りリノ王はやはり大人しく陥落されることはなかった。
「まさかあのような大規模な船を隠していたとは」
 紋章砲で決壊させた岸壁から、まさか船が現れるとはさしものトロイも予想もしていなかった。
「しかしなめた真似をしてくれたものです。まぁあのように一時的に我らの手を逃れたとしても、この国を抑えている限り近くリノ王もクールークに膝を屈することになるのでしょうが」
「だといいがな」
 トロイは今になってリノ王を逃がしたことを少しだけ後悔していた。

 状況がリノ王に味方をしているような気がする。

 タイミング良くやってきた海賊キカ。
 深追いをしなかった自分達。
 あのまま無理にでも戦闘に突入していれば被害や後の海賊との禍根は出ただろうが、勝利を収めることは難しくなかったろう。
 しかし最近本国との折り合いが悪くなりつつある自分は今回任務を優先し、そうしなかった。

 これは偶然か?




 まぁ今更言ってみても詮無いことだ。
 結局リノ王は海賊キカに助けられ、見事にクールークの手から逃れることに成功したのだから。

 しかし一つだけ解せない。
 彼らは何故あれだけの威力を持つ破壊兵器をもう一度使わなかったのだろうか?

 わからない。

 トロイは徐に立ち上がり、扉の方へと向かった。
「トロイ殿?どちらへ行かれるのです?」
「少し外の風にあたりに行くだけだ」
 自分はコルトンほど楽観的には考えられない。自分の意を解すことのない男とこれ以上会話を交わす気にはなれなかった。




 ガチャッ
 二日ぶりに医務室の扉を空けるとそこは戦場であった。
 リノ王の出奔以外、オベルにはクールークの侵攻に対する大きな抵抗は見られなかった。
 そのため第一第二艦隊には大した怪我人は出なかったのだが、一昨日より収容し切れず運び込まれた第三艦隊の生き残りの手当てに皆東奔西走していたのである。
 トロイはノブを握ったまま一瞬出直すべきか悩む。
「トロイ様!どうなされたのです?」
 しかし結論を出すより早く不自然に入り口に立ち止まっている人の気配に気付いた看護助手がトロイの姿を見つけ、走り寄って来た。
「まだ占領が完了したわけではないのでしょう?まさかお怪我を?!」
「いや、怪我はない。彼を引き取りに来た。この最中怪我のない者にいつまでもベッドを占領させておくわけにはいかないだろう」
 甲板に出ようとした際、医務室が立て込んでいるであろう事実に思い至り、治療の邪魔にならないよう彼の別室への移動を許可するつもりで立ち寄ったのだが。
「予想以上に忙しいようだな。彼は俺が運んでおこう。お前は治療の方に戻ってくれ」
 男は初め「艦長の手を煩わせるわけには……」と恐縮する様子を見せたが、その艦長自身に「本当はこうして会話をしている間も惜しいのだろう?」と内心の焦りを見抜かれたこともあり、最終的には頭を下げ、治療に戻っていった。
 それを見届け、トロイは少年の寝ているベッドに近づいていく。
 少年はこの周囲の喧騒をも物ともせず、相変わらず最後に見たときの姿勢のまま人形のように眠っている。
 トロイは布団を捲り、運び込んだときと同じようにその胸に幼い少年を抱え上げた。
 そのとき、硬く閉ざされていた筈の少年の瞼がピクリと動いた。
 そのまま瞼がゆっくりと持ち上がっていく。
 ぼんやりと開かれた少年の目。

 その色は――紅

 あまり見かけないその珍しい鮮やかな色合いに、トロイは状況を忘れしばしその瞳に見入った。
「君、誰?」
 少年が声を発した。
 見た目よりは低い、しかし若干まだ変声しきる前の高さを含むその声色は寝起きで掠れていてもよく耳に通った。
 抱きかかえられている自分の状態を見やり、不思議そうに見上げてくる少年にトロイは不覚にもなんと答えていいかわからなかった。
 惨劇は一瞬のことだった。
 少年はおそらく自身の身に何が起こったかさえわかっていないだろう。
 もちろん故郷が滅んだなど、予想もしていないに違いない。
 そんな彼にもし家族のことなど問われれば何と説明すればいいのか。
 正直に故郷は滅びて、自分はその滅ぼしたクールーク皇国の一員だ、とでも?

 トロイが悩んでいる間に再び少年が口を開いた。
 しかし少年の次の発言はそんなトロイの思考を遥かに飛び越えたものだった。

「というか……僕が誰?」

 やっと目覚めた少年は事件どころか、これまでの記憶を全て失っていたのだった。






どうしてここにいるのだろう




頭の中がモヤモヤして


全く何にも、わからない






to be continue…




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