++62.凪++





「一体何時までこんな生活が続くのかしら?」
 父と離れ、セツと二人オベルに残ったフレアは今、一人王城の敷地の庭を憂鬱げに歩いていた。
 オベルがクールークに占領されてからというもの、何をするにも許可が入り、自由時間は制限され、部屋に入れば世話係と称した監視が付く。
 身柄を拘束されているわけではないし、身体的に虐げられているわけでもない。捕虜としては破格の扱いだということはわかっている。
 それでもやはり精神的疲労が溜まるのは否めない。普段は民に不安を与えないために気丈に振舞ってはいるが、数少ない一人の時間に思わず愚痴が零れるのは仕方のないことだった。

 ここも活気が減ってしまったわね……

 嘗ては一般に解放されていた花の咲き乱れるこの美しい庭も、占領されてからは出入りが厳しく制限されていた。
 人のいない閑散とした庭。
 花は相変わらず美しく咲き乱れているのに、どこか寂しさが漂っていた。
 そろそろ自由時間も終わりだわ。戻らないと。
 踵を返そうとしたフレアの元に、微かな懐かしいメロディーが流れてきた。
「青……海………ぃろき花よ………至福の……」
 これは――オベルの、国歌?
 いまやクールーク支配のお膝元となっているこの宮殿で?
 不審に思ったフレアはその発信源を辿った。
 そこにあったのは城壁。その上に誰かが座っている。
 大人にしては少し影が小さい。

 子ども?

 じっと見つめているとその視線に気付いたのだろう。少年が歌を止めてゆっくりと振り返った。
「こんにちは」
 男の子?女の子?
 一目見ただけでは判別が付きそうにない。随分整った顔をした子どもだった。
「こんにちは。あなたこんなところで何をしているの?」
 しかし身体付きや声からすれば、やはり男だということはわかった。
 町の子どもだろうか?
 けれど見覚えがない。自分はこの近隣の顔は大体把握しているつもりだ。
 特にこのような目立つ子どもなら尚更忘れることなどないように思えた。
「僕は散歩中。ここから海を見ると光が反射して、すごく綺麗なんだ」
 確かに。
 自分も幼いとき、よく父に抱え上げてもらってこの城壁から遠い海を臨んだものだ。
 しかし今問題なのはそこではない。
「あなたどこの子?どうやってここに入り込んだの?今ここはクールーク軍の許可なしの立ち入りは禁止されているの。見つかったら子どもでも捕まるわよ」
「うん、知ってる。でもお姉さんも同じじゃない?」
 少年は最初の問には答えずに、平然とした調子で尋ね返した。
「私はこの国の王女だもの。家の中を出歩くのは普通のことだわ」
「では貴女がフレア王女?失礼しました。無礼な口を利いてしまいましたことをお許し下さい」
 少年は突然居住まいを正すと塀の上で器用に優雅な礼をしてみせた。
 その丁寧な口調と物腰。やはり町の子どもではなさそうだ。
「そんなに畏まらなくてもいいわ。今の私の身分は捕虜同然だし、何より堅苦しい話し方はあまり好きじゃないの。さっきと同じでいいわ」
「そうなの?よかった。僕もどっちかというと普通の方が話しやすいし」
 少年は明らかにホッとしたようにフレアに笑いかけた。
 そうしているとただの子どものようにも見えた。
 思わず流されそうになって、会話を本来の目的へと軌道修正する。
「ところでさっきの問の答えを聞いていないのだけれど」
「ああ、それはフレア王女と同じような理由。当面僕の住まいはここの一室になるらしいから」
「それはどういう……」
 尋ねようとして自分がまだ少年の名前も聞いていないことに気付いた。
「貴方名前は?」
「僕?僕は……」
「フレア王女!」
 そこで外部の者の声が続きを遮った。駆けつけてきたのは自分の監視役。
「フレア王女、お探ししましたよ!時間は厳守して頂かなければ困ります!」
「ああ、ごめんなさい」
 いつの間にか日が傾いてしまっている。気付かない内に随分時間が経っていたらしい。
「まぁまぁ、兵隊さん、そう怒らないでよ。王女は僕が引き止めちゃったんだから」
「ナギ様!」
 クールーク兵が驚きの声を上げながら、自分を追い越し城壁に駆け寄っていく。
 ナギ?
 どうやらそれがこの子どもの名前らしい。しかし敬称付とはどこぞの身分のある子どもなのだろうか?
「またそんなところで何をしていらっしゃるんですか。先からトロイ様がお探しでしたよ」
 しかし幾分呆れを含んでおり、兵士と少年の間には存外砕けた雰囲気が漂っている。
 フレアは訝しんだ。
「トロイが?ありえないね、どうせ探してたのはコルトン様でしょ?」
 少年が業とらしく肩を竦めた。
 トロイは第一艦隊の司令官で、このオベル支配の指揮官でもある。実質上ここでは一番身分の高い人間だ。
 それを呼び捨てとは。
 なのに第二艦隊のコルトンには敬称をつけている。
 ますますこの子どもがわからなくなった。トロイの縁者か何かだろうか?
「まぁそうですけど。とにかく早くお戻りになった方がよろしいですよ」
「はいはい、もう戻りますよ。散歩くらい自由にさせてくれたらいいのに。ね、フレア王女」
 同意を求められても。
 本心では頷きたいが、敗戦した国の王女が監視の前でそうそうそんな反抗的なことを口に出せるわけはない。
 少年は返答を期待していたわけではないのか、そのまま塀から身軽に飛び降りた。
「危ない!」
 唐突に思い出した。この塀は相当高かったのだ。
 後ろでも誰かが息を呑む気配を感じた。
 しかしフレアの心配を余所に、ナギという少年は全く危なげなく着地を決めてみせた。
「じゃあまたね。フレア王女」
 それだけ言い残すと少年は颯爽とその場を去っていった。
 そういえばこの塀には登るための足場も何もなかった。ということは彼は自力であそこまで登ったのだろうか?
 本当に何者なのだろう?
 不思議な少年だった。


********


 ここでもないだと……!
 コルトンは内心憤慨しながらたった今訪ねた医務室の扉を閉めた。
「全く何故私があんな小僧に振り回されねばならんのだ!」
 独り言にしては大きすぎるそれに、近辺で見張りを行っていた兵士が揃って肩をびくつかせた。
「こ、コルトン様…どうかなされました、か?」
「どうかしなければこの忙しい時期に廊下などうろついているわけがないだろう!あの小僧、ナギを探しているのだ!先から全く見つからん。アレは一体どこをほっつき歩いている!」
 あの少年が倒れていた浜はエルイール要塞の直線状にある。もし彼の記憶が戻り、万一彼がその攻撃に関して何かに気付いたり、イルヤの惨劇の不当性を自分達の知らないところで誰かに訴えだしたりすれば、面倒なことになりかねない。
 コルトンの完璧な八つ当たりに、兵士達は怯えながらも恐る恐る一斉に後ろの一点を指差した。
「あ、あのナギ殿でしたらあそこに……」
 視線を移した先には確かにナギの姿。
 しかし必死で探していたコルトンの心情などこれっぽっちも知る由もないナギ少年は鼻歌交じりにのんびりと廊下を闊歩していた。
 兵士の動きからコルトンの姿に気付いたのか、ナギは無邪気にコルトンに手を振った。
「あ、コルトン様。何か用ですか?」
「ナギ!!!!」
 特大の雷が落ちた。


********


 くどくどくど
「全くお前は……」
 ぶつぶつぶつ
「何度同じことを言わせれば……」
 生来の気質なのかコルトンの説教は終わることなく、既に始まってから一時間近く経とうとしている。
 ナギは無言で神妙な顔つきのまま、コルトンのお説教に耳を傾けている。
「ナギ、私は不用意にうろつくなと昨日も言ったはずだな!」
 そこでやっとナギが口を開いた。
「ごめんなさい」
 ナギは潔く頭を下げた。
 今度こそ本当に反省したか?
 そろそろ切り上げてもいいだろう、と思ったしかしその直前。
「でも僕、昨日も了承はしませんでしたよ」
 真顔で反論。
 全く反省していない。再びコルトンの導火線に火がついた。
「揚げ足をとるものではない!」
 しかしナギの方も負けてはない。ここで怯むようなら連日コルトンに叱られることもなかったろう。
「だってじゃあどうするんですか?一日中部屋に篭っていろとでも?医者だってそれはよくないって言ってます。なるべく外の空気に触れるようにって」
 彼が目覚めた後、監察・医療それぞれの専門家により、彼は正式に忘れの病と診断された。
 頭に損傷はない。ならば精神的なことが原因と言われているため、ナギの言い分には一応の正当性が見えた。
「む、むぅぅ…それはそうだが……」
 コルトンとしては一生忘れていてくれるに越したことはないと思うのだが、彼の危険性について当人に知らせていない以上はっきりそんなことを言えるはずもない。
 トロイの指示で今の彼の立場は一応保護された戦災孤児となっている。あまり過干渉しすぎると返って不自然だ。
「では…せめて行き先くらいはトロイ殿に報告してから行きなさい。もちろん今日のこともだ」
 それが葛藤するコルトンに出せる最大の譲歩案だった。
「ありがとうございます」
 ナギがにっこり笑って再び頭を下げた。
 何故だかしてやられた気分だ。
 コルトンは渋面を作った。
「お前は私を怒らせて楽しいのか?」
 ナギは心外そうな顔をした。
「まさか。まぁコルトン様のそういうちゃんと怒ってくれるところは好きですけど」
 また茶化しているのかと思ったが、意外にもそこにからかいの色はなかった。
 やはり子ども。突然全てを失って心細いのだろう。
 コルトンは子どもが苦手だ。しかしこういうところが心底この少年を憎めない理由かもしれない。
「トロイもなぁ、このくらいはっきり言ってくれたらいいのに」
 実際ナギは寂しそうに続けてポツリと漏らした。
「トロイ殿には部屋から出ないよう言われなかったのか?」
「全然。『ここが当面のお前の部屋だ』出ていいとも悪いとも何も言わないんです。だから余計どうしていいのかさっぱり」
 そこでナギは一旦言葉を切って、視線をトロイのいる部屋の方にやった。
「トロイ様って仕事以外のことは何を考えてるんでしょうかね?」
 それはこっちが聞きたい。元々トロイの考えていることはわからないが、最近は特にわからない。
 この少年のことだってどうするつもりなのか。
 トロイは名前や部屋まで与えてしまった。しかしその割には普段少年のことを話すのを聞かない。
「さてな。あの方は良くも悪くも海軍一筋の真面目なお方だ。それこそご友人にでも訊ければ」
 コルトンはそこで不自然に言葉を止めた。
 ナギも事情を察してそれ以上は聞かなかった。


********


 コルトンと別れた後、ナギは言われた通りトロイの執務室にやって来た。
 しかしトロイはやはりそれを気にする風もなく、山と詰まれた資料に黙々と目を通している。
「今日は王宮の城壁に行ってたんだけど」
 とりあえず報告してみた。
「そうか」
 一応自分の存在に気付いてはいるようだ。続けてトライ。
「ねぇトロイ」
「何だ?」
「僕さぁ、外に出てもいいの?」
「出たいのか?」
 やっとトロイの顔が上がった。よしっ。
「うん。だって部屋に篭ってるのって退屈。毎日こんなとこで紙っペラと一日中睨めっこしてるトロイの気が知れないくらいには」
「わかった。しかしあまり遠くへは行くな。ここはまだ植民地となったばかりで、我らに反発心を抱いているものも多い」
「そのくらいはわかってる。僕だって一応気を使ってるんだよ。だから日が暮れる前に毎日帰って来てるし、コルトン様のお説教だってちゃんと聞いてるじゃないか」
「そうか、それが気遣いだったとは気付かなかった」
 そしてトロイはまた書類の整理に戻る。

 カリカリ

 トロイがペンで字を書き込む音だけが部屋に反響する。
 本当に僕は気にかけられているのだろうか?
 船医の先生なんかは、トロイも口には出さなくても僕のことを気に掛けているはずだと言っている。
 それが本当かどうかはわからないが、とにかく僕を拾って保護したのはトロイだそうだから、彼が僕にとって恩人に当たるのは間違いない。
 やっぱり目覚めて初めて見た顔はトロイなわけだし、失くした記憶も気になるけど、目下のところ僕はやっぱり彼のことが一番気にかかる。
 だからトロイのことをもっと知りたいと思う。だけど今のところそれが成功しているとは言い難い。何故なら。
「あのさぁ、トロイ。それで終わり?ずっと思ってたんだけどさ、トロイってしゃべらなさ過ぎだよ」
「そうか?必要なことは話したつもりだが」
 そこだ。
「必要なことしか話してないんだよ」
「それが悪いのか?」
「悪い」
 トロイがものすごく訝しげな顔をした。
 ああ、わかってないな。
 僕はこれまでクールーク兵士達に色々トロイの話を聞いて回った。そして僕は残念なことに確信してしまっていたのだ。
 トロイに嫌われたくない。だからこれだけは言うまい、言うまいと思ってたけど。
 僕は意を決してはっきりと言った。



「トロイって友達いないでしょ」
 爆弾投下。





 はっきり言ってこの子どもを拾ったのはただの気まぐれだった。
 コルトンに指摘されたように罪悪感も少しはあったかもしれないし、滅びた島でたった独りで倒れていた子どもの姿に何かを感じたというのもあるかもしれない。
 けれどそれが何であるかなど明確に言葉に表すことはできないし、ならばそれほど大した理由ではないのだろうと思う。
 つまりその行為に正確な意図はなかったということだ。気が付いたら彼を拾っていた。
 子どもには記憶がなかったため捕虜にするのも無意味に思え、だからと言って半端に捨てるわけにもいかず、結局保護することにした。名を与えたのも呼び名がなければ不便だろうと言うだけのことだった。
 そんな子どもに、何故今自分はこんなにも動揺を与えられなければならないのか。
 トロイはあんまりなその言葉に思わずペンを取り落とした。
 しかしすぐにそれを取り繕うように書類に手を伸ばす。
「そんなことはお前には関係ないだろう」
 子どもの戯言だ。トロイはきっぱり切り捨てようとした。
「ある。トロイは僕のことなんかどうでもいいのかもしれないけど、僕には自分の恩人のことだよ」
 これには少し驚いた。
 子どもは目覚めてすぐこそ色々と自分に話しかけてきたが、最近ではほとんど外出してばかりして自分に近寄る様子がなかった。
 だからトロイは自分よりもむしろ少年の方こそ、自分に興味がないのだろうと思っていた。
「お前は恩人に友がいなければ駄目なのか?」
「恩人には幸せでいてほしいじゃない?トロイはただでさえしゃべんないし、周りから何を考えてるのか認識されてないようなとこがあるじゃないか。そんな環境で安らぎがあるのかってことを言ってるんだよ」
 安らぎ……
 あまり意識したことのない言葉だ。幼い頃は勉学に、大人になってからは仕事に費やし遊ぶということはなかった。
 そんな自分にとっての安らぎとは一体何だろうか?
「また黙ってる。そうやって全部頭の中で処理するから考えてることが相手に伝わらないんだ。無駄とかそうじゃないとか一人で判断しないでよ!!」
 考え込んでいるとナギはもどかしそうに目の前の机を叩いた。
 そしてトロイの目を覗き込むようにじっと見つめる。
「もっと話してくれないとわからないよ」
 その目はこちらの内心全てを見透しているようで、水平線の彼方を見つめているような気にさせられる。どこまでも続く果てしなさ。

 最初の印象は初めて見つけたとき、浜辺で力なく倒れていた姿は漣一つであっけなく崩れてしまう穏やかな海のような儚さを感じた。

 二度目の印象は初めて目覚めたとき、揺ぎ無くこちらを見つめる姿が波の静けさを思わせた。

 彼の目は海の青とは全く懸け離れた赤色なのに、それらは凪いだ海を思わせた。だから凪、ナギと名付けた。

 しかし一旦調子を取り戻すと、想像していたよりずっと元気で破天荒な子どもで、これでは逆に嵐のようだ。ナギなど到底似合いそうもない。
「忙しいのかもしれないけど、トロイはもっと外に出た方がいい。花とか海とかすごく綺麗なところだよ、ここは。岸壁跡の空洞とか遺跡とか結構面白いし」
 そう、思っていた。
「綺麗なところ、か……そうだな。ここは、美しい島だ」
「うん。そんな風にもっと話してね。無駄なことでも、何でもいいから」
「ああ、努力しよう」
 まさかこんな子どもに言い負かされるとは。
 だが不思議と悔しくない。
 久しぶりに自分の口元が綻ぶのがわかる。そして気付いた。
 笑うなど何年ぶりだろうか?いや笑うどころか随分長く、こんなにも表情を動かすことさえなかったかもしれない。
 それを見たナギもまた口元を綻ばせた。
「確かに聞いからね。手始めに今度、一緒に散歩に行こうよ」
「ああ、もう少し落ち着いたら散歩もいいだろ……」
 素直に頷こうとしたトロイが突然止まった。
「待て。空洞や遺跡?岸壁付近や王宮の西は危険があるから近付くなと言っておいたはずだが?」
「あ、やばっ!」
 自分の額に青筋が立つのがわかる。
 前言撤回。やはり名前の選択ミスだ。
「お前、本当は全く気なんて遣っていないだろう?」
「あ、はっきり言ったね!そうそうその調子」
「誤魔化すな」







トロイが笑ってくれた




記憶がないのは不安だけど


大丈夫って


僕はこのとき確かにそう思ったんだ






to be continue…




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