++63.敵++





「では行って参ります」
「ああ」
「私がいない間、くれぐれもお気をつけ下さい」
「わかっている」



 オベル王宮内に仮設された執務室。今日もトロイのペンは快調に紙の上を走り抜ける、筈だった。
「ねー、トロイ」
「何だ。いやその前に、乗るな
 背中にのっしと乗っかる物体さえなければ。
「何で?」
「仕事が進まない」
「へー、嘘つき」
「人聞きの悪いことを言うな」
 嘘ではない。現に集中できない。乗っているのが子どもとはいえ、いつもの鎧を外しているとはいえ、人一人乗せるのはやはり重い。しかも明らかに意図的に体重を掛けられている。
「そっちじゃないよ」
「ではどれだ?」
「努力するって言ったくせに。散歩行くって言ったくせに」
 そっちか。
 そしてまた強く体重を掛けてくる。どうやらこれは怒りの表現だったらしい。\  だがそれは無理もない。確かに約束してから、既に五日が経っているのだから。
「それは……すまない」
「誠意より行動で示してほしいんですけど」
 突然背にあった重圧が消えた。が、変わりに絶対零度の冷ややかな半眼で睨まれている。
 今は本当に外出は控えたかったのだが
「わかった。もう少し待て。これが終わったら」
「散歩?僕海辺の方に」
 ナギの目が期待で輝いた。
「王宮の庭で散歩だ」
 そして一気に元に戻った。
「……何で?」
「今日からコルトンがオベルに属する諸島の巡回に行っていてしばらく留守になる」
 指揮官も補佐もここを離れるのは好ましくない。それとは別にコルトンがいないことは他にも大きな弊害を齎す可能性があるのだが、これはナギは知る必要のないことだ。
「……わかった」
 その言葉に含まれた表の意味はわかったのだろう。不承不承という風ではあったが、ナギは首を縦に振った。
 何だかんだ言いつつ、最終的にはトロイの都合を無視するような真似はしない。
 ナギはトロイから見ても中々頭の良い子どもだった。まだ慣れぬ身でついついいつものように言葉少なになってしまっても、そこに込められた本当の意味を図ってくれる。
「南国マンゴ―の丸々パフェ一つで手を打つよ」
「お前、本当にもう少し遠慮という言葉を知れ」
 時折出る我侭な面を除けば、既にトロイにとってナギはそこそこ付き合いやすい相手となっていた。


********


「で、どうして遺跡に向かっているんだ?」
 トロイにしてみれば仕事の合間にほんの少し外の空気を吸いに出ただけのつもりが、いつの間にやら西奥の遺跡へと続く細い路地へと引っ張り込まれていた。
「だって僕はもうこの庭一体知り尽くしてるし」
 俺はまだのんびり眺めたことはないのだが。
 というトロイの主張は普通に黙殺された。
 諦めの吐息を漏らしつつも、まぁ散々待たせた上妥協させたのだから今日くらいは我慢しよう、と自分を納得させることにした。
「おや、ナギ様。またいらしたんですか」
「お散歩ですか、トロイ様?」
 遺跡の前に立つ二人の門兵が楽しげなナギと心なしか疲れているトロイの姿を視界に捉え、陽気に語りかける。
「今日は保護者同伴ですから入れてもらえますよね?」
 門兵二人の顔を見たとき、ナギが一瞬不思議そうな顔をした気がしたが、改めて見直すとそんな様子はなく、むしろ「ほら、トロイからも頼んでよ!」と考え込んでいるトロイの脇腹に肘鉄をかます勢いである。気のせいだったか?
「鍵を開けてやてくれ」
 遺跡の入り口には頑丈な門が設置されており、更にごつい南京錠によって厳重に守られている。
 何を目的として造られたものなのか住民達は知らないらしく、資料はリノ王が逃亡時に持ち逃げしたようで依然として詳しいことはわかっていない。
「トロイ様を連れて来られては、開けないわけにはいきませんよ」
「ついにトロイ様も折れなさったんですね。ナギ様には少々お甘い」
 門兵達はその遣り取りを微笑ましげに眺めやりつつも、懐から一本の鍵を取り出し、鍵穴へと差し込んだ。ナギはそれを待ち遠しそうに見ている。
 その間、一人の門兵は手持ち部沙汰になったのか視線を彷徨わせた。
「今日はコルトン様はいらっしゃらないんですよね?」
 指揮官二人の不在が心配なのだろうか?男の表情は不安げだった。
「確かに不在だが。私は長く空けるわけではないし、何かあったらここに伝令が来るように伝えてある」
 その言葉に男は安心したように安堵の吐息を漏らした。
「鍵が開きましたよ」
 もう一人の男が振り返る。門が古びた音を響かせ、押し開かれていく。
「ありがとう、早く行こう。トロイ」
 トロイは頷き、男からカンテラを受け取った。その際一つだけ門兵達に注意を促す。
「だが、伝令が来ても簡単に中には入れるな。そこで待たせてお前が呼びに来い」
 弊害がどんな形で訪れるかわからない。単独行動をするからには十分な注意が必要だった。
「わかりました。もちろん猫一匹入れませんので、ご心配なく」
「どうぞ、ごゆっくり」
 男達はそれを笑顔で了承し、入り口から二人を送り出した。


********


 松明が掛けられてはいるがやはり少々薄暗い遺跡内部で、カンテラを持たされナギの言われるままに足元や壁を照らしていたトロイは何気なく方向を指し示すナギの手に視線をやり、ふと思った。
「ナギ、暑くはないのか?」
「は?今は別にそうでもないけど」
 外と比べれば中はどちらかと言えば涼しい方だ。湿気はありそうだが、まだ入り口に近いせいか風通しはよい。ナギは眉を寄せた。
 また言葉が足りなかったようだ。
「そうではない。その手袋だ」
 以前から何か感じていた違和感。
 初めて会ったとき、ナギは手袋をつけていた。しばらく寝ずっぱりだった間も手を握り締めた形になっていたので手袋を脱がせることはできず、着用したままになっていた。
 考えてみればナギが手袋をとったところを見たことがないような気がする。まさか一日中身に着けているのだろうか?
「ああ、確かにちょっと暑いけど」
「まぁ洞窟内はどんな有害な物質が付着しているかわからんし、着けていた方が安全だろうが普段はいらんだろう。そもそも何のために着けているのだ?」
 言ってしまってから気付く。外さないイコール見られたくない。もしかしたら消えない傷跡か何かがあるのかもしれない。
 無理に答えなくてもいいが、と咄嗟にフォローを入れようとしたがそれより早くナギはあっさりと答えた。
「日焼け止め対策」
「は?」
 日焼け止め対策。頭の中で回答を吟味する。
 確かに季節は夏真っ盛り。しかも南国。日中のギラギラとした太陽光線はさぞかしその白い肌には堪えるだろう。
 しかしオベルの住人達の手袋姿というのはあまり見かけない。イルヤでは流行だったのだろうか?
 自分には理解できそうにないが。
「だがお前は室内でも常に着用しているだろう」
 日の差さない建物の中ですら、日焼け対策は必要なものなのか。
「確かにそうだけど……あ!何か壁に文字みたいのが書いてある!」
 その瞬間にナギの中ではもう手袋の話は頭から飛んでしまったのだろう。ナギは新たに発見した興味の対象へと突進していった。
 まぁ、そう急いて聞く必要はないか。
 そう結論付け、トロイも眉根を寄せながらも後を追った。
「うー、やっぱ読めない。文字ほとんど欠けちゃってるし…シンダル文字かなぁ」
 ナギはトロイを気にする風もなく何とか目の前の謎を解明しようと壁にへばりついている。この調子では一人でもっと奥へと突っ走りかねない。
「言っておくが、そんなに奥までは行くつもりはないぞ。もう少ししたら引き返すからな」
 なので先に釘を刺しておく。
「えー」
 案の定ナギは不満の声を上げた。
「駄目なものは駄目だ。あの中は深い迷路のように入り組んでいる上に危険なモンスターで溢れている。武器も持たないお前を連れて行くわけにはいかない」
 無論この古い遺跡は調査対象に入っているが、以上の理由からまだ調査は入り口付近までしか及んでいない。
 案内人でもいればと思い、フレア王女にも掛け合ってはいたが、案内人はあの時リノ王と共に船出してしまって不在であると言うし、調査再開の目処は未だ立っていないのが現状だ。
「じゃあ何か武器ちょうだ」
「却下だ」
 そんなこちらの事情を慮ることなく、ナギの方はいたって暢気だった。
「ない方が危ないと思うんだけど」
「そう思うならちょろちょろしないで大人しくしていろ。俺から離れるな」
「ケチ」
「子どもに、特にお前に武器を持たせるなど危なくてしょうがない。武器を振り回して強行突破を目論まれたら堪らんからな」
「失礼な。そんなことしないって、門番の人に悪……そう言えばトロイ。さっきの門番の人誰か知ってる?」
 突然の話題転換だったが、ナギと話しているとそういうことも珍しくはないのでトロイもいつものようにそれに応じる。
「いや、第三艦隊の人間はほぼ管轄外だからな」
 門兵の男は二人とも第三艦隊所属を示すエンブレムを身に着けていた。第三艦隊のことならコルトンの方が詳しいので、生き残り達の采配はコルトンに任せていた為、男達のことは知らなかった。
「それがどうかしたのか?」
「見張りってさ、交代要員を含めてそんなにたくさんいるものなの?」
「いや、あそこは十人も割いていないと思うが…王宮自体の警備を強化していればそれほど必要ないだろう」
 何故そんなことを訊く?
「二人とも初めて会ったんだけど」
「向こうはお前のことを知ってる風だったが」
「そりゃあそうだよ。僕が遺跡付近によく出没して、侵入を目論んでるのは王宮でも有名な話だからね。誰でも知ってるんじゃない?」
 自信満々に言うことでもない。こいつにはこっそりとかそういう概念はないのだろうか。噂にまでなっているとは知らなかった。

 しかし……誰でも知っている?何か引っかかる。

「お前は結局何が言いたいんだ?」
「だから僕は毎日ここに通ってるのに、まだ会ったことのない見張りのお兄さんがいるなんてちょっと変だなって思ったんだよ。周期的には一昨日会ったお兄さん達だと思ってたからさ」

 !

 しまった……
「そういう、ことか!」
 すぐさま隣にあったナギの腕を掴み、出口の方向へと走り出す。
「な、何?!どうしたの、トロイ!」
 突然のトロイの奇行にナギが足を縺れさせながらも必死に方向転換を行い、抗議の声を上げた。
「これは罠だ!」
 叫びながら角を曲がったそこには、既に数人の男達が立ち塞がっていた。

 遅かった。
 静かに抜き身の武器を構えた男達の中には先ほどにこやかに話しかけて来た門番の男の姿もあった。


 コルトンの不在による弊害。恐れていたそれが起こってしまった。
 第一艦隊艦長。
 それは実質海戦場という現場では最も高い権限が与えられている重要な役職。そしてそれが今のトロイの肩書きだ。
 これまでの功績から考えれば、それは妥当な地位と言え、総督の判断は正しいものと幸いにも民衆からは多くの支持を集めることができた。
 しかし当然それを快く思わない者もいる。皇国の貴族達だ。紋章砲が開発され、流布した今、軍の花形は陸軍から海軍に移り変わっている。
 その座にトロイが居座ることをよしとしなかった。未だに表向きは、30代と年若いことや自分達への反抗的態度などを理由にその地位の返還を訴えている。
 貴族達の攻撃は執拗で終わることがない。それを押し止めているのがコルトンの存在だった。彼は地位としてはトロイよりも下に当たるが、何分軍暦が長い。古くから海軍を支えてきた、しかもいまだ現役で現場の指揮をとる功労者の一人である彼の発言力は高い。
 伝統や経験を重んじる貴族達にとってまさにコルトンは目の上のたんこぶ。若い頃彼の世話になった者も少なくない。
 そんな彼が副官として自分の後見を努めることはトロイへの攻撃の防波堤になっていた。コルトンが傍で目を光らせている間は、彼らもあからさまには手を出して来ない。
 しかし一度彼の目が離れると、どこから嗅ぎつけるのかご丁寧に刺客を差し向けてくる。
 誰もがトロイの地位を狙っていた。別にこの地位に執着しているわけではないが、大人しく殺されてあの豪奢な椅子に踏ん反り返るしか能のない古狸達にみすみす海軍を、兵の命を託すつもりはない。

 だからこそ極力気をつけていたつもりだった。事実後をつけられているような気配は感じなかったし、ここに来ることは調査済みの、身許のはっきりした少数の部下にしか伝えていなかった。しかし
「ここを張っていて正解でした。貴方が子どもに御執心だという報告を聞いたときは耳を疑いましたが、子どもの我侭に付き合って用心深い貴方がこんな人目につかない場所に自ら出向いて下さったということはどうやら本当だったようですね」
「まぁこの顔ならわからないでもないか?」
 男の一人がニヤニヤ笑いながらナギに好色そうな視線を向けた。
「下卑た想像はやめろ」
 ナギを後ろに庇いながら自らの失態に歯噛みする。予想だにしていなかった。まさか自分ではなく、ナギの日頃の行動の方から足が付くことになるとは。
「本当に助かりましたよ。無駄な動きを好まない、以前の貴方なら考えられないことです」
「トロイ殿、今日こそその首を貰い受けるぜ!」
 無言で控えていた男達も一斉に武器を構え直す。
 出口は一つ。敵を倒さなければここから出ることはできない。

 やはり慣れぬことはするものではないな。

 苦笑いを浮かべつつも、すぐ後ろで感じる小さな温もりを背に、トロイは目の前の敵を排除すべく腰の愛剣を抜きさった。



「ナギ!下がっていろ!!」
 襲い掛かる刃を受け止めながら、トロイが僕にカンテラを押し付け何かを叫んでいる。

 煌く刃。肉を絶つ音。狂気に血走った眼。そして殺気。

「ナギ、何をしている!奥へ走れっ!!」
 動かない僕にトロイがまた呼びかけた。その隙に敵が切りかかり、彼の利き腕に新たな傷が奔る。
 何か赤いものが自分の顔に飛んで来る。頬に感じる生暖かい滑り。

 血。血だ。血の臭い。血の色。視界に映る、苦痛に歪む顔。

 僕のせいで彼を窮地に追い込んでしまった。彼が傷ついている。血を流している。

「や…め、ろ……」
「ナギ!!」
 彼を傷つけるな。刃を向けるな。

 だって切られたら、切られたら――――




死んでしまうじゃないか

「やめろ――――――――っっ!!」

 頭のどこかで声がする。

 僕の大切なもの。傷つけるもの。奪うもの。憎い。そんなものは、いらない。

 消えろ。消えてしまえばいい。憎いものは、いらないものは全て。



キエテシマエ


 右手が熱い。黒い靄が噴き出す。それはまるで生き物のようにうねりながら標的へと向かっていく。
「ぅ、うわあああっっ、何だ?!何だコレは!!!」
「やめろ、く、来るなっ、来るなぁああっっ!!」
 黒い靄が敵達の足元から這い上がってくる。
「助けてくれ、助けてくれぇえっっ!!」

 許さない。絶対に。

 右手が真っ赤な光で染まりあがった。
 靄が身体に絡みつく。もがいてもそれは決して剥がれることはなく。
 そして全身を覆いつくしたとき、それらは全て煙のように消えた。
 文字通り刺客であったもの、人を構成していたもの、何一つ、まるで初めからそんなものは全く存在していなかったの様に、そこには何も残らなかった。



 一体何が起こった?
 トロイはただ見ていた。突然発生した靄は見事に刺客の傍にいた自分やナギを避けて、その触手で彼らの敵だけを綺麗に消し去ってしまった。
 後に残ったのは呆然と立ち尽くす自分と咄嗟に腕の中に受け止めた、気を失ったナギの二人だけ。
 あの力は尋常ではない。唯人が持つには相応しくない、途方もなく危険な力だ。
 しかしそれは間違いなくこのナギから放たれていた。
 黒い靄が発生している間、真っ赤に輝き続けていた右手。あれは紋章の光ではないのか?


「何のために着けているのだ?」
「日焼け止め対策」



 意を決して右手に手を伸ばす。手袋に手が掛かる。
 我知らず、息を呑んだ。



 脱がせきった右手。


 白磁の肌をしたその甲には





 何の模様も浮かんではいなかった。






敵は闇へと消えよ







to be continue…




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