++64.散歩++





 コルトンらとの定例の会議を終えた後、トロイは新たに追加された決済書類を抱え自らの執務室へと続く道を歩いていた。
 そこで何故か調理場から出てくるナギに出くわした。背中には大きなナップサックを背負っている。
「ナギ、どこへ行くつもりだ?」
「ちょっとそこまで?」
 何故明後日の方角を向く?焦点が合っていない。つまり…嘘くさい。
 見かねたトロイが追求するためナギとの距離を詰め、その少し手前で足を止めた。
「そろそろ昼食の時間だろう?」
 基本一日のほとんどをナギは自由に過ごし、トロイは仕事に費やすが、三食の食事時だけは二人揃って一緒にとっていた。
 仕事に熱中すると食事を抜いてしまいがちになるトロイを見かねたナギが毎回無理やり食事を押し付けている内にいつの間にか習慣になったことである。
「あ〜、今日はお弁当にしてもらったから、外で食べる!じゃ!」
 しかしナギは心ここにあらずといった感じで、素っ気なく右手で遮ると風のようにその場を去っていった。
 最近のナギは明らかに挙動不審だ。思い当たる要因といえば先日の刺客を滅したことくらいだが。
 しかしそれは違うだろうと思う。何故ならナギはあの後またも三日間眠り続け、目覚めたときにはその時の記憶だけがすっぽりと抜け落ちていたからだ。
 どうやら刺客に出会ったことさえ覚えていないらしかった。
 元々記憶喪失な上に更に重ねて記憶障害。その原因についてナギの奇妙な力の部分だけを除き、医者に相談したところ精神が安定していないことや恐怖へのトラウマがあるのではないかと話していた。
 それはどちらにしてもナギの現状が決してよくないことを示す言葉であったが、記憶が当分戻りそうにないことにトロイが内心ほっとしたのも事実だ。
 正直ナギの持つ力に驚いている。いや恐れていると言った方がいいだろう。
 今のところ本人に自覚はないようだが、トロイは戸惑っていた。彼を傍に置いていても本当に大丈夫なのだろうか、と。
 もしやそんな自分の不安がナギに伝わってしまったのだろうか?だが、それを表情や態度に出した覚えはない。
 それに夜に食事を共にしているときのナギの態度には別段変なところはなかった。だとしたらやはり原因はあの事件とは別のところにあるはずだ。
 トロイはそう結論付けるとそのまま部屋に戻り、今日の予定をすばやく確認すると午後の時間を空けるべくスケジュールを調整し始めた。


********


「っと、すいません」
「あら?あの子……」
 昼食前の人々が忙しなく行き交う街中、フレアは聞き覚えのある声を聞きつけ足を止めた。
「ああ!お久しぶりです」
 その声が聞こえたのだろう。いつぞや王宮で出会った少年が振り向き笑顔でこちらに駆け寄ってきた。しかしどうも視線がちらちらと別のところに行っているような気がする。
「…今日はどうしたんですか?こんなところで…」
「ちょっとした買出しよ。たまには買い物くらいしたいもの。もちろん監視付だけどね」
 その言葉に後ろの兵士がわずかに苦笑を漏らした。
「外の空気を吸うだけでも大分違いますよ」
「ナギ、って言ったわよね。また敬語に戻ってるわよ」
「あっと、ごめん。ついうっかり。目上の人に会うと反射的に敬語になるみたいで」
 話しながらもやはり視線はフレアを通り越して東の道へと向かっている。
「ところであなた、随分急いでいるみたいだけどどこへ行くの?」
 この先は一本道で、先にはかつて自分の父が隠密に建造した船が隠されていた洞窟があるばかりで、船のない今はただの行き止まりでしかない。
 それでも一応表向きは侵攻の際に受けたクールーク砲撃の後遺症による落石注意を理由に、立ち入り禁止となっている。およそ子どもの用があるような場所ではない。
「えっと、浜辺に」
「浜辺に降りるならこちらからでは無理よ。この道を少し戻って大通りを南に下らないと」
 その答えにフレアは単にこの子どもはまだこの街に慣れていないから道を間違えているのだろうと思って説明したのだが、そのとき後ろの監視兵が怪訝そうな顔をした。
「あー、そうなんだ?こっちからでも行けると思ってた。ありがとう、フレア王女」
 それを見たナギは焦ったように早口で感謝を告げると反転して元の道を戻っていった。
 呆気に取られ、思わず監視兵と顔を見合わせた。
「ナギ様は毎日街に散歩に出てらっしゃいますから、いい加減地理くらい把握していると思うんですが」
 明らかに様子が変だった。二人は揃って首を傾げる。
「まぁ心配しなくても東の道の前には見張りが目を光らせているはずですし、滅多なことは起こらないでしょう」
 それより私も少し道具屋で買い物があるのですが、と監視係がすぐ右隣の店に目をやったのを見てフレアは苦笑しながら彼女の考えに先手を打った。
「私は少し疲れたからこのベンチで待つことにするわ。荷物も見ているからゆっくり行ってきて」
 フレアの提案に監視係は申し訳なさそうな顔をしつつも、それでは少しの間お願いします、と店の奥へと消えて行った。
 荷物を降ろし、ベンチの上に腰掛ける。ぼうっと街の様子を眺めやった。時折掛けられる街の人々の声に応えながらも、何の変化もなく時は過ぎていった。
 しかししばらくしてフレアはまたも不信な行動をとる人物を発見した。
 王女としてこの地の侵略者である男に気軽に話しかけてもいいものか悩んだが、やはり視界に入った以上声をかけるのが礼儀だろうと男の元へ近寄っていった。
「トロイ司令官、貴方が街中に来るなんて何かあったのかしら?」
 日がな一日執務室に篭って滅多に外に姿を現すことのない男が、街中で鋭い視線を走らせながら歩く姿は周りに不信や不安を抱かせる。結局のところ躊躇いより興味が勝っただけの話である。
「人を探している。街に出たのはわかっているのだが。フレア王女は色白で、黒髪の14、5歳くらいの小奇麗な顔をした少年を見かけなかっただろうか?」
 礼儀正しく、いつでも平静を誇る司令官は挨拶もそこそこに尋ねてきた。
 あのトロイが焦っている?珍しい。少し良い気味だと思いつつも、フレアは素直に今日の不審者第一号の姿を思い浮かべた。
「もしかしてあのナギって子のことかしら?」
「知ってらっしゃるのか?」
「さっきあっちの街の外れで会ったわ。その後南へ行ったようだけど随分東端の方角を気にしていたわ」
 また禄でもないことを企んでいるのではないだろうな。
 声に出すつもりはなかったのだろう。ここにはいない当人へ零された小さな愚痴が耳に付いた。
「フレア王女、ご助言感謝する」
「待って。私も一つ尋ねたいことがあるの」
「何でしょう?」
「彼は何者なの?」
 ずっと気になっていた。初めてナギと出会った後、兵士達に聞いてみたのだが、どうにもその素性には統一性がない。
 ある者はトロイが知り合いから預かったのだと言い、ある者はトロイの遠縁の子だと言う。他にもトロイの隠し子説を唱えるものまでいる始末だ。
「ただの戦災孤児です」
 端的に言い切ると、トロイは今度こそ足早に迷うことなく東の方へ去っていった。
 ただの、ならどうして海神の申し子ともあろう男が子ども一人に振り回されているというのか。
 少年のことだけでなく、二人の関係性ついても謎が深まるばかりであった。


********


「ほらご飯だよー。遅くなってごめん」
 東の洞窟の下の方は停泊していた船がなくなった分、空洞の入り江のようになっていた。
 ナギは慣れた調子で上から垂らしたロープをつたって下へ降りると、入り江の奥の方にある大きな岩陰へと走っていく。
 そして背負っていたナップサックを地面に下ろすと中から一つのタッパを取り出し、岩の裏へそれを差し出した。
「何が遅くなったんだ?」
 突然響き渡った自分とは違うもう一つの声。
 振り向いた先にはロープから地に足をつけながら真っ直ぐこちらを睨みすえるトロイの姿。
「?! と、トロイ……な、何でもないよ!そろそろご飯にしようかなあって」
 ナギは慌てて後ろの物体をタッパと共に押しやると、岩陰の前に立ち塞がった。
「後ろに何を隠した?」
「な、何も隠してないよ?」
 しかしナギがいくら焦っても、後ろの物体にはその空気を読むことなどできはしなかった。

 キュッ

 可愛らしい、小さな鳴き声が空洞の中で反響した。
「出しなさい」
「はい……」
 どの道ここまで来て隠し立てなどできるはずもなかった。ナギは諦めてトロイに背後の物体を差し出した。



 目の前に突き出されたのは一匹の小さな動物。
「これは……モンスターの子どもではないのか?どこで拾ってきた?」
「三日くらい前、この入り江で拾ったんだよ。怪我をしてたみたいだから毎日包帯と薬とご飯を運んで」
「世話をしていたというわけか。ここまでどうやって来た?見張りがいただろう?」
「初めはちょっとだけって約束で…その時拾って、それからは見張りのお兄さんに事情を話して通してもらってた。今日はフレア王女に見つかっちゃったから、東の道のすぐ下の広場から壁をよじ登ったけど」
 あの見張りども…これは立派な職務怠慢だぞ。
「また危ない真似を…ここへも縄で行き来しているようだし。そもそも縄なぞどこで手に入れた?」
 これほど頑丈なロープ、しかも固定する金具まで買えるほどの金を与えているつもりはない。
「兵士の人とちょっとコインゲームで」
「賭博はやめろと言っただろう」
 一週間ほど前にナギに有り金を巻き上げられ、身一つにされた憐れな一兵を見たときから、トロイはナギに賭博禁止令を出していた。
 そもそも子どもが賭博に耽るなど、しかも全戦全勝など全く教育によくない。
「全く呆れたな。何故そこまでして隠していた?」
「だってトロイが僕のこと避けてるから」
「何?」
「気付いてない?態度はいつも通りだけど最近、僕が近付くと必ず三歩分距離をとるよね。ほら今も」
 言われてみて初めて気付いた。見てみると確かにきっちり三歩分。シュラの手の届かない、そしてそれは同時に戦場でとるトロイの間合いぎりぎりでもある。
「あんまり我侭ばっかり言ってると益々嫌われてるんじゃないかと思って、だから」
 ナギの指摘に愕然とした。知らぬ間に自分はナギを警戒していたというのか。
 ナギは自分なぞよりずっと人のことをよく見ている。
 気付いていなかったのは自分の方だ。
 それでも避けていることを肯定することはしたくなかった。
「……お前の気の回しすぎだ。最近仕事が煮詰まって多少苛々していたかもしれんが……今はその動物のせいだ。小さい生き物はどう接していいかわからない」
 だから子どもがそんな気を使うな。
 我ながら苦しい言い訳だと思う。そこには確かな後ろめたさとそして何故か少しの嬉しさがあった。ナギが言い訳を素直に信じたかどうかはわからないが、ぎこちなくも安心させるようにナギの頭を撫るとやっと安心した表情を見せた。
「ところでそれは一体何の子どもだ?」
 単に話題転換のつもりでナギの抱える物体に視線を移したのだが、見れば見るほど変わった姿をした生き物だ。
「さぁ、僕もまだ調べてる途中なんだけど子どもだから絵も乗ってないし」
 普通のモンスターの子供というには随分愛らしい外見をしている。小さいが鋭く尖った角といい、美しい鱗といい、一見伝承に聞く赤月帝国の竜洞に存在するという竜のようだ。
 しかし唯一それを裏切っているのは、腰の辺りから左右対称に二本ずつ生えた水かきのように透き通ったひれ。
 ……ひれだと?その時一つのイメージが頭を過ぎった。一つ該当するものが頭を浮かんだ。

 竜に似た外見。これはまさかアレの子どもでは?
 ある可能性に思い至ったそのとき、一つの大きな影が飛来した。



 空から入り込んだ巨大な物体により、入り江の入り口から差し込んでいた光が大きく遮られた。
 ナギが元より大きな目を更に大きく見開き、胸の中の温もりを抱きしめた。
「何なの……あれ…?」
「リヴァイアサンだ…海の神とも、呼ばれる……」
 トロイの声から色が消えた。
「モン、スター…?」
 だけどそれ以上に自分の声の方が平坦になっていると思う。
「そうだろうな。だがあれは……」
 モンスター、だ。急速に自分の中から何かが沸きあがってくるのがわかる。トロイの声が、別の囁きにとって変わる。

敵だ……あれは、敵。僕達を傷つける、憎むべきもの……

 心が虚ろになっていく。覚えのある感覚。頭の中が真っ黒に塗りつぶされていく。

 堕、ち、る


 パンッ

 頬に衝撃が走った。
「よく聞け。あれは敵ではない」
「あ、トロ、イ…」
 戻った視界に真っ先に映ったのはトロイの心配そうな顔。
「彼らには知能がある。私達を傷つけるものではない。刺激を与えるな」
「でも」
「大丈夫だ。あれも同じ海に住むものならわかる。信じて待て」
 信じてもいいのだろうか。確かにトロイは強いらしいけど、たった一人でこの状況を打破できるのだろうか?
「僕は」
 でもトロイがそう言ってる。昔の僕を知るものは誰もいない。

 だから

「あなたを信じるよ」
 今の僕の世界はトロイが全てだった。



 ナギを岩陰に押し込め、一人リヴァイアサンに対峙する。
 さて、自信たっぷりにああは言ったが、実際問題どうしたものだろうか。
 確かに普段はこちらから危害を加えない限り攻撃をしかけてくることのない相手だが、今回は状況が違う。
 ナギの胸の中の動物。あれはおそらくリヴァイアサンの子ども。身体的特徴がそっくりだ。
 あの子どもがどういう経緯でここに辿り着いたのかはわからないが、まず間違いなく自分達は子どもを浚った略奪者として認識されている。何よりも全身から放たれている殺気がそれを証明している。
 逃げ道は背後のロープ一本。援軍は期待できそうにない。さすがに一人でこの神とまで呼ばれたモンスターを倒すことは不可能だろう。

 あれを試すか?

 もう何年も前に一度だけ会った男を思い出す。
 あの時も非番でこうして部下も十分な道具もなくリヴァイアサンと対峙した。それを救ったのは、ある一人の海賊であった。
 海軍である自分にも物怖じすることなく話しかけてきた、今はもう伝説に近くなってしまった敵ながらも偉大な男から教わった詞。
 自分にもできるだろうか?不安はあったがそれ以外に方法はありそうにない。
 決意を込めて、自らの異名と名を分けたそれと対峙する。
 大きく息を吸った。


abdhales adhidevate. mama giram a--karn-aya.

ugra pavanas janyate navasya anatara--tmani ced dr-pyati abdhis utthi--yate asma--kam anatara--tamani.

akopyasya sa--ntis jayate navasya anatara--tmani ced prasamanam abdhis utthi--yate asma--kam anatara--tamani.

navam vanoti abdhau.

api navam api ayam vonoti abdhau.

krodhe pra-imchati.varayas abhipsu.

abdhales adhidevate.prasamana.


 全ての章を紡ぎ終え、ナギから小さなリヴァイアサンを受け取る。
 海の浅瀬に最も近いところにそれを座らせ、ナギのいる岩場まで足を引いた。
 警戒しているのか大きなリヴァイアサンはまだ動かない。
 通じているのか?それとも駄目なのか?だが、教わった詞はここまでだ。

 届いてくれ!

「親愛なる者よ!我々は誓って貴方達を傷つけはしない!」
 思わず口をついて出たのはただの人の言葉。
 モンスターに人の言葉を解することができないことくらいはわかっている。それでも何か言わずにはおれなかった。
 しかし彼はまるでその言葉を理解したかのように、大きな翼をたたみ、海にその身体を降ろし、子どもへと首を伸ばした。
 子どもは後ろ髪を引かれるように何度もナギの方を振り返っていたが、それでも少しずつ親と思われる存在に近づいていく。
 首の部分に子どもを乗せると彼はそのままこちらに視線をやることなく、入り江の外へと泳ぎ出で、やがて海の底へと消えていった。
 例えモンスターでも真意があれば、それは伝わる。
 ならば同じ人の間で伝わらないわけがない。根底にある正直な気持ちならば尚更。
 モンスターを目にし、震えるナギの姿を見て思った。自分は何を恐れているのか、と。
 表面上何でもないふりをしながら、内心では腫れ物を触るように距離をとろうとしていた。
 けれど避けていても何もならない。この子はまだ子どもなのだ。
 その身に大きすぎる力を抱えてしまった、幼い子ども。
 本来なら傍で支えてくれるべき家族も友も誰もいない。
 もう二度と彼を恐れ、独り悩ませるような真似はするまい。







守っていこう




記憶を失い、一人ぼっちで不安定な精神を抱えたこの子どもを






to be continue…




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