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++65.お守り++ 「お母さんか」 今はもう完全に見えなくなった親子の姿を見送りながら、いつの間にか岩陰から姿を現したナギは隣に並び、ポツリと呟いた。 「寂しいか?」 遠くを見つめるその瞳に浮かぶのは憧憬と寂寥。 「うん、やっぱりちょっとはね……」 当たり前のことではあったが、やはり言葉にされるとトロイの胸に罪悪感が湧き上がった。 「まぁでも…僕にはトロイがいるし」 振り返ったナギの目にはもうそれらの色は映ってはいなかった。 軍人としてではなく、自らが必要とされている。今はその事実に浸っていたかった。 「マイホームパパにはなれなさそうだけど我慢しとくよ」 「悪かったな。仕事一筋で」 どうしてナギはいつも一言余計なのだろうか? 「そしてパパはやめろ。こんな大きな息子はいらん」 「残ー念!そういえばトロイは家族いないの?」 全く残念そうには聞こえない口調でナギは岩場の上に飛び乗りながら何気なく尋ねてきた。 「母はいない。父が一人いるが…もうほぼいない同然だな」 いるのに、いない? ナギは何度も首を傾げながらその言葉を反芻している。 ナギにはそれが理解できないようだった。この子は愛されて育った子なのだろうな、と漠然と思う。 「好き好んで俺と関わろうとする人間はいないということだ」 父はトロイが第一艦隊艦長の座に出世した当時は大層喜んだが、クレイ商会や他の貴族共に反発し微妙な立場となった現在では息子と何ら関わりを持とうとはしなくなった。 彼は昔から息子に対して利用価値しか見出さない男だった。 「トロイの周りにはあんなにたくさんの人がいてくれてるのに、そういうこと言う?」 家族云々の辺りは自分の口出せる領域ではないと判断したのかそれ以上追及して来なかったが、次の台詞には納得がいかなかったらしい。 ナギは小さな子どもを諭すように上からトロイを睨めつけた。 「トロイは周りの人達が信じられないわけ?」 「わからない」 実際にわからなかった。この間も刺客に襲われたばかりだ。コルトンがいないという情報が漏れていた点から考えても内部に裏切り者が紛れ込んでいるのは確かなのだ。 例え尊敬していると褒め称えられようと従順な態度をとられようと、腹の中まで探ることはできない。 そんな周囲に対し、トロイ自身誰を信じていいのやら、そもそも自分に誰かを信用する気持ちがあるのかどうかも判断することができなかった。 一方トロイの煮え切らない態度が、ナギはかなり気に食わなかった。だから何とかその言葉を撤回させたかった。 「じゃあコルトン様は?あの人はトロイのこといつもすっごく心配してるよ。なんだか息子を見守るみたいな感じで」 「気のせいだろう。あの男がそれを向けるべき相手は別にいる。それに仕事以外お互い干渉することはないしな」 駄目か、でも僕はそれだけじゃないと思うんだけどな…………って! 「コルトン様って息子がいるの?!」 話が逸れてる。と思いつつも興味を抑えられなかった。 「ああいる。軍の中に血の繋がった本当の息子が。何故驚く?」 「だって誰からも聞いたことないし」 でも良く考えてみればいても当然の年齢だ。しかし自分はコルトンともたまに世間話のようなことはする。 けれど本人からも家族の話自体聞いたことがなかったので、彼に家庭があるとは考えたことがなかったのだ。 「コルトンは普段息子と顔を合わせても上官としての態度しかとりはしないからな。あまり知られていないのは無理もない」 「何で話さないの?まさかコルトン様が呆れちゃうくらいどうしようもないドラ息子だとか!」 あの厳格な人の息子で……?想像しづらい。 「まさか。親のあいつに恥じない実直で立派な青年だ」 よ、よかった。 その言葉に既に頭の中にできあがっていた、嫌にリアルな金髪で軽いナンパ人間の想像を慌てて打ち消した。 「関係を隠すのは自分の息子の実力を間違っても親の七光りなどとは言わせたくないからだろう。 息子だからと特別扱いはしない。わかりにくい愛情だが、コルトンも仕事に関しては真面目すぎる男だからな」 コルトン様と同じことを言ってる。 ナギからしてみればトロイとコルトンは充分にお互いのことを理解し、信頼関係が築かれていると思うのだが。 どうして当の二人はわからないんだろう? 大人は色々複雑だ。だから時折とても近くにあるのに簡単なことが見えなくなったりするのかもしれない。こういう真面目な人なら尚更。 「トロイって意外と不器用だね」 「今の流れでどうしてそうなる?」 自覚ゼロだし。 「一人にしとくと危なっかしくてしょうがないってこと」 大人な彼にはたった一つ大切なものが欠けている。 「だから僕が傍にいるよ」 子どもの自分に何がしてあげられるかわからないけれど。 そして、いつまでになるかはわからないけれど。 「子どもに付いていてもらう年ではないんだがな。だが、一応感謝する」 トロイが笑う。 前より笑うようになったといっても、未だトロイの満面の笑顔というのはやはり貴重だ。 なんとなく直視することが憚られたナギは視線を海の方へと戻した。 そのとき浅瀬のところで空から降り注ぐ光を反射し何かが光った。 ナギは岩場から飛び降り、その光の下へと駆け寄る。 「何だろう、これ?」 拾ったそれは感触としてはかなり硬く、しかし日に透かすとキラキラと光を放つほどの透明感があった。 「あれ?二枚あるね」 それは軽く重なっていただけのようで、指を横にずらした拍子に簡単に二枚に別れた。 後に続いたトロイもナギの手元を覗き込んだ。 「これは…さっきのリヴァイアサンの鱗じゃないのか?」 しばらく眺めた後、半信半疑といった声音でトロイがぽつりと呟いた。 「珍しいものなの?」 「ああ、リヴァイアサンは海から上がることの少ない生き物だからな。せいぜい時折網にかかることがあるくらいでほとんど市場には出回らない。欲しがる者も多いだろう」 「何か持ってると良いことあるとか」 「正解だ。幸運を齎すとは言われている」 真実かどうかは知らんがな。 トロイは何かわかればそれでもう興味が失せたようだった。しかしナギはもう一度それを太陽の光に透かした後、二枚とも懐へと忍ばせた。 ******** 一体いつ完成するのかしら? フレアはテーブルに置かれた紅茶を啜りながら、布切れと奮闘する目の前の少年の手元に目をやった。 繕い物を教えてくれ、と突然布と針をもってナギが尋ねてきたのがニ時間前。 特に断る理由もなく暇を持て余していたフレアは快く少年の申し出を受け入れた。 尋ねて来られること事態は珍しいことではない。 あの日町ですれ違ってから何度か顔を合わせ、今では初めて会ったとき少年が自らの身元を語れなかった事情、即ち記憶喪失であることも知っている。 縫い物教室が思いの他長引いてお茶の時間を共にすることになってしまったのは、考えるまでもなく少年の手の中のものの進行状況が予想より遥かに遅れているからに間違いなかった。 目標は首から下げられるタイプの小さな袋が二つ。 それほど時間のかかるものではない。別に少年が特別不器用というわけでもない。 「繕い物はしたことがないみたいでやり方がわからない」 と言っていた割にはかなり綺麗に縫えていると思う。それでも尚終わらないのはおそらく少年の完璧主義からくるのであろう。彼の縫い目はびっちりとかなり細かかったのだ。 おかげで今のフレアにはすることがなくこうしてお茶を飲むことしかすることがなかった。 「そういえばナギってこれからどうなるの?」 「どうとは?」 少年は出された紅茶に全く手をつける様子もなく、視線は縫い目に釘付け状態だ。 「孤児になってしまったんでしょう?ずっとこのままというわけにはいかないんじゃないの?」 ここはクールークの植民地になったとは言え、いつまでも海軍を指揮するトロイがここに在中するわけではないだろう。 トロイがここを離れるときのこの少年の身の振りはどうなっているのか、フレアは密かに少年の行く末を心配するようになっていた。 「うん?トロイは一応本国に帰る機会ができたら向こうで里親を探してくれるっていってる」 「あら?彼自身が引き取るのではないの?てっきり養子にすると思っていたわ」 あの執着具合からして簡単に手放すようには見えなかったので、その答えは少し意外であった。 「さぁ。わからない。あんまり具体的に話したことはないし」 「ここで探すのは駄目なのかしら?」 これは何か具体的な考えがあったわけではない。今自然と頭を過ぎり、思わず出た言葉だった。 どうやら自分もいつの間にかこの少年のことが随分気に入っていたらしい。 それにこの少年は堅苦しい皇国で生活するよりも、のびのびとした活気のある街で暮らした方がいいと漠然と思ったのもある。 「僕もそれは言ったことあるけど。本国の方が便宜が図れるからとか何とか言って結局うやむや?」 どうやらナギはあくまでトロイの意向に沿うつもりらしい。 「なあに、それ?ナギはトロイと離れるのは寂しくないの?」 「んー、寂しいけど…でもトロイが引き取るのって現実話難しいでしょ」 確かに後継者が存在しないトロイが今この少年を養子にと望めば色々と問題が出てくるだろう。 「だから結局はトロイ次第ってやつかな」 今度トロイに会ったときにからかうネタにしようと思って言った言葉だったのだが、ナギは思っているよりずっと冷静な少年のようだった。 ちょっとつまらないわね。 そんなことを思いながらフレアは再び紅茶に手を伸ばした。 しかしカップは空だった。それを見た監視兵が新たに注ぎ足されたポットを手にこちらにやって来た。 それは偶然だった。ほんの少しの段差に彼女が躓き、ポットがその手から離れ、慣性に従いそのまま中身が飛び出した。 そしてその熱い紅茶のしぶきの先にいたのは。 「ナギ!!」 フレアと監視兵の悲鳴があがる。避けられない! しかしナギは布と針を手にしたまま、ぱっとその場を飛び退った。 結果中身は一滴もナギに掛かることなく事なきを得ることができた。 「すいません!」 監視兵が慌ててナギへと駆け寄っていく。 「よかった」 安堵の息をもらし、フレアはナギが座っていた椅子へと目をやった。しかし。 「あら?」 そこにはしぶきは飛んでいなかった。つまりそこに座っていてもかかる心配はなかったということだ。 どういうことだろうか? あのままポットが飛んでいれば確実に熱い液体はナギの位置まで襲い掛かっていたはずなのに。 落ちたポットに視線をやると不自然なほどにそれは粉々に砕け散っていた。 ただ落ちただけでここまで砕けたりはしない。ということは床に落ちきる前に何か別の衝撃があったということだろうか? この場合ナギの椅子までしぶきが飛ばなかったのはその何者かが起こした衝撃のおかげということになる。 けれどここには三人しかいない。もしかして、と思ったそのとき一瞬の視線を感じた。 振り向こうとしたフレアだったが、その視線の先を隣に立った少年がやんわりと遮った。 「あんまりそっち凝視しちゃだめだよ?」 「! ナギ、貴方気付いて……」 「トロイには内緒ね?」 フレアの言葉にナギは悪戯っぽく片目を瞑って見せると口元に人差し指をやってみせた。 その後すぐ身体を翻すと布と針を振り上げ椅子の上に座りなおした。 「さぁ、続き続き!フレア王女ここの縫い終わりはどうやって止めたらいいの?」 「……ああ、そこは」 なんとなく腑に落ちない。フレアの中には消化しきれない何かが胸の中に残ることとなった。 ******** 「はい、トロイ。プレゼント!」 「何だコレは?」 「お守り」 突然執務室に飛び込んできたと思えば、誕生日でもないのにいきなりの贈り物と来た。 本当に突拍子のない。しかし中身に限っては予想が付いた。 「中身はあのとき拾ったリヴァイアサンの鱗か?」 「正解!二枚あったからトロイと僕で一枚ずつと思ってさ」 既にナギの首には手の中のものと同じ小さな袋が下がっていた。 「せっかくで悪いが遠慮しておく」 「はぁ?何で?」 理由を聞くまでは絶対に引き下がらない、という気合が背後に渦巻いている。 トロイはペンを置き、書類を整えながら渋々理由を説明した。 「俺は神頼みなどは好かない。そんな不確かなものに頼るよりも自分の力で解決する方が建設的だろう?」 こう言ってもきっとナギは納得しないだろう、むしろ夢がないと怒るかもしれないと思ったから言いたくなかったのだが。 しかしナギは怒りの色を見せず、穏やかに反論するに留まった。 「うーん、確かにそれも一理あるけど……僕はお守りを持つのは悪くないと思うんだよね」 「お前は神を信じているのか?」 らしくもなく曖昧な返事を返したナギに珍しくトロイの方から少年の考えについて尋ねた。 「何で?信じてないよ」 それは意外な答えだった。 「神様に祈っても助けてなんてもらえないよ。僕を助けてくれるのはいつだって現実に存在する人達だ」 それは嫌に実感の篭った、現実的な答えだった。しかしそう思うのなら。 「ならばそれを持つことに何の意味がある?」 「気休めじゃない?こんなのはさ」 受け取れ、と言った割にはぞんざいな言い草だ。 「矛盾しているぞ」 「してないよ。だってないよりはある方がいい気がしない?神様を信じてなくても何かに祈りたくなるときってあるからさ。そういうとき形あるものがあったら、気持ちも込めやすいってただそれだけのことだよ」 饒舌に語る少年はまるで幾つもの修羅場を潜り抜けてきた、遥か遠い存在に思えた。 「トロイは何を信じたらいいかわからないって言ったよね?」 「ああ」 「トロイにはない?今まで祈りたくなったこと」 「ないな」 「だったらやっぱり持っててよ」 返事を返すよりも早くナギはトロイの首に無理やりそれを引っ掛けた。 「というかせっかく僕が苦労して作ったんだから受けとれ」 「最初から有無を言わせず持たせるつもりだったんだろうが」 そのときにはもう既にいつものナギの顔で、結局そのお守りを拒むことはできなかった。 | |
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いつかわかるよ 信じられる人はすぐ傍にいるということが そしてきっと来る これを握り締めて何かに祈るときが |
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| to be continue… |