++4.靄++





「本当に色々お世話になりました、主に兄さんが」
 河の旅はここまでだ。ここからは海に出なければならないため、もっと大型の船へと乗り換えなければならない。
 シュラは色々便宜を図ってもらった自覚があるので殊更丁寧に頭を下げた。礼と一緒に思わず本音も出たが。
 船乗りたちも、おもしろい兄ちゃんと礼儀正しい弟という賑やかな兄弟が気に入っていたので、手の空いていた者たちは皆桟橋側に集まり見送ってくれた。
「いーってことよ、坊主も達者でな!」
「兄ちゃんはあんま弟に世話かけんなよ!!」
「うっせーぞ、馬鹿野郎!!」
 旅暦数十年のエンにとって船酔いは大変不名誉なことだったらしい。余計なお世話と眉根を寄せて不機嫌そうに睨みつけたが、唸っていた姿を知っている者からすれば何の迫力もなかった。
 船乗りたちの爆笑を背に受け、エンにとっては忌まわしき思い出の残る船に別れを告げた。


 現在シュラたちがいるのは、デュナン湖から西に流れる大河と海の境目に面する港町シイカ。
 その位置関係が示す通り、河から、陸から、海からと三方から大量の物資が流れ込む土地柄だ。そして集まった物資は留められることなく、即座に然るべき経路に振り分けられ、再び三方へと運び出されていく、中継地点としての役割を果たす町だった。
 物が集まるところには人も集まる。つまり、そこで中継されるものに人が含まれるのも当然の流れだ。
 シュラたちもまた例に漏れず、その一部としてここへ辿り着いたのだった。

「せっかく地に足が着いたってのに数時間後にはまた水の上ってか…ああ、やってらんねぇぜ」
 乗り場を繋ぐ通りに延々と続く市場は、入荷されたばかりの品物たちを並べ大声を張り上げて売り捌く商人達と、少しでも安い値で買い取ろうと値切り交渉を始める客達とで活気に満ち溢れていた。
 しかしエンはそれとは対照的に、憂鬱そうにぼやきながら、殊更ダルそうにゆっくりと足を運んでいた。
「またそういうこと言う……言っとくけど、だらだら歩いて乗り遅れようとしても無駄だよ、ちゃんと時間は計算してあるから」
 ぐっ、見抜かれている。だが、ここで引き下がるエンではない。
「お前、細かすぎるぞ。別に一本くらい乗り遅れてやりゃあ良いんだよ。せっかくの陸なんだし、もっと満喫してもいいだろーがよ」
「チケット無駄にする気?」
 当然乗り遅れても、船券の代金は返ってこない。
「そんなもん、また買えばいーだろ」
 あっけらかんと言ってくるが、こいつは一体これに幾らかかったかわかっているのだろうか?いや、知ってて言ってる。
「エン、君って本当に盗賊?経済観念なさすぎるよ」
 このようにエンが万事金銭を全く気にせず行動しようとするため、この頃には返ってシュラの金銭感覚の方が庶民的にならざるおえない状態になっていた。
「何言ってんだ、逆だろ、逆。盗賊だからそんなもんいらねーんだよ。なくなったら盗めばいい。一々んなみみっちいこと言ってたら大物の盗賊にはなれねーぞ」
 誰もなりたいとは言ってない。というかみみっちいとかではなく、もう少し気にして欲しい。頼むから。
 まぁ、言っても無駄だろうが。
「はぁ、もういいよ。とにかく絶対次のに乗るから。船酔いが嫌なら薬でも用意しとけば」
「おー。そういやあの葉っぱのやつは良く効いたな。あれは何て薬草なんだ?」
「前にも言ったけど、あれは貰い物なんだよ。僕も聞きたかったんだけど、彼とはあれから会えなかったし」
 一応船員にそれとなく乗客の探りを入れてみたが、該当者らしき人物も見つけられなかった。名前を訊かなかったのは手痛いミスだ。
 しかしそれでも尚考えてみれば、同じ船にいるはずなのに会わないというのもおかしな話だったが。
「取り敢えず薬の方は僕が引き受けるよ。記憶を頼りになんとか探してみる。エンはそれ以外をお願いね」
「おい、全部かよ」
 かなり偏った分担にエンが不満げな声を上げた。
「どうせ僕はみみっちい人間だからね。買い物一つでも大いに時間がかかるんだよ」
 やぶ蛇だったようだ。
「ちっ、わかったよ」
「三時間後、時間厳守だからね……さて」
 エンを送り出したシュラは広大な市場、ではなく船券売り場に目を向ける。
「やっぱり聞き込みならあそこだよね」
 酔い止め薬はただの口実。葉っぱの名前くらいちゃんと使用する前に船員に尋ねて知っている。知らない振りをしたのは、単に自由な時間を確保するため。それはもちろんあの青年を探すためだ。
 別に用があるわけではない。ただ、引っかかるのだ。それが何なのかはわからない。いや、それを確かめたいから、自分は彼を探すのだろう。


********


 出港の汽笛が鳴り響く。荷解きを済ませた二人は船室を出て狭い廊下を歩いていた。
「お前、えらく疲れてんな?葉っぱ探しはそんなに大変だったのか?」
「うん、まぁそんなとこ」
 ただし、探していたのは葉っぱではないが。シュラはあれから三時間延々と彼の手掛かりを求めて町中をさ迷い歩いた。
 が、成果はなし。骨折り損のくたびれもうけだ。普通に考えれば、人の溢れかえるこの町で一人の人間を探し出せるわけがなかったのだ。それでも探そうとしたのは、見つけられるという予感がしたからだ。何の根拠もないのに、どうして自分はそんなことを思ったのだろうか。
 何にせよ、直感が外れたシュラは肩透かしをくらった気分である。大体向こうも悪いのだ。会う気がないなら、思わせぶりな態度を見せたりしなければいいのに。
 全く何が「また会いましょう」なんだ……!
「あー、腹立ってきた……」
「何がだよ?いきなりわけわかんねーぞ、お前」
 とか言いつつ、視線は廊下に飾られている絵画の方を向いている。今のところ、シュラの考え事にさほど興味はないらしい。
 まぁシュラの方も別にエンに聞かせようとしたわけではなく、単に心の声が大きな独り言となって口から零れ落ちただけのことだったので別に相手にされなくても全然構わないのだが。
「わかんないのはこっちの方だよ」
「何でもいいが、食堂着いたぞ」
 もういい。忘れよう、あの青年のことは。会えないという事は最初から縁がなかったということなのだ。
 さっさと食事を済まして部屋で読書でもしてゆっくりすれば、この変なもやもや感もいずれは消えるだろう。
 返事があろうが、無かろうがエンは気にすることなく、食堂の中に入っていく。
「おー、結構混んでるな。ま、食事時じゃあしょーがねーけどよ……お、あそこ相席させてもらおーぜ」
 テーブルはほとんど人によって埋められていた。かと言って出直すのも面倒なので、エンは辺りを見渡し空席の目立つ一つのテーブルに目を止めた。
 そこには四人掛けのテーブルでゆったりとお茶を啜る一人の青年の姿があった。彼は近づいてくる二人に気付くとにっこりとこう言った。
「やあ、また会えましたね。ユラさん」
 このやろう。
「どちらさん?」
「例の薬草をくれた人」
 何故普通にいる。
 たっぷり三時間、僕は無駄に走っていたわけですか。
 まあ、確かに会えたんだからいいんだけどね、別に。探したのは自分の勝手ですしね、彼に不満をぶつける気はないんですよ、本当。けど――――思うくらい許してほしい。
 理不尽だ!
 初対面の二人はそんなシュラの内心の葛藤など気付く様子もなく、和やかに挨拶を交わしていた。
「へー、あんたが…初めましてだな。その節はどーも、おかげで助かった」
 万国共通の友好の証として、右手を差し出した。握手で挨拶とはエンにしては随分丁寧な対応だ。
「いえいえ、お役に立てて何よりですよ」
 相手方の青年も気軽にそれに応じ、エンの手を握り返した。一瞬、青年が軽く目を瞠ったような気がした。
「どうかしましたか?」
「いえ、随分鍛えていらっしゃるんだな、と。それよりお兄さんはもう大丈夫なんですか?」
 そう言えば、そういう設定だった。あの船限りのつもりでいたが、これではまだ当分兄弟設定から逃れられなさそうだ。全くややこしい。
「ああ、大丈夫だ。けどお兄さんはやめてくれ。エンでいい」
「そういえば、まだあなたの名前を聞いていませんでしたよね」
 今だ。
 すかさずシュラが尋ねた。実は今更過ぎてどうすれば自然に切り出せるか考えあぐねていたのだが、エンが名乗ってくれて助かった。
「そうでしたっけ、失礼しました。俺はアキと言います」
「アキさん、ですか」
 自分の知り合いの中にそんな名の人物はいない。やはり初対面か。けれどどうにもどこか聞き覚えがあるような気もする。何となくすっきりしない曖昧な感じだ。
「アキでいいですよ」
「んじゃあ、アキ。ちょっと訊きたいんだけどよ、あんたずっとあの船に乗ってたか?俺は一回もお前に会わなかったんだが」
 何も言っていなかったが、エンも一応気にはしていたらしい。
「はい、ずっと乗ってましたよ。ただし、船倉の積荷の護衛役としてですけどね。だから一般客室付近や甲板に出る機会はあまりありませんでした」
「ああ、それで……」
 護衛役とは盲点だった。それでは乗客をいくら調べても見当たらないのは当然だ。ん?船員の一員ということはもしかして……
「じゃあまた会いましょう、って言ったのは」
「ええ、行き先を知っていたからですよ。船乗りの方達がよくあなた達のことを話題にしてましたから。目的地が偶々俺と同じだったのでまた同じ船になるんじゃないかと思いまして」
 不思議な青年だと思ったが、真実がわかってみれば何ということもない。ただの思い違いと情報不足だっただけの話だ。
 しかしそれで全てが解決したわけではない。依然として違和感は付き纏っているし、このように長期に同じ場所で過ごさなければならない状況になるとは思っていなかったのでエンにはまだ話していないが、自分の身元を仄めかすような発言のこともある。むやみに気を許すべきではない。
「とりあえず飯にしようぜ。船旅はまだ長いんだし、話はいつでもできるだろ?」
「そうですね、まぁ大して美味くはありませんけど」
 三人で囲む食卓は賑やかで、それなりに楽しいものだった。このときはまだそこに潜む三者三様の想いがあることを、僕達はそれぞれ知らずにいたのだけれど。


********


「エン、一つ言ってなかったことがあるんだけど」
 船室に戻った後、シュラは早速懸念の一つについてエンに相談を持ちかけた。
「何だ?」
「彼、もしかしたら僕の正体に気付いてるかもしれないんだ」
 棍使いだということを見破られただけで判断するのは、早計かもしれないが、手のたこを見られたわけでもないのに、自然に断定されたのは、やはりその可能性を考えざるを得ない。
「へぇ……」
 重大な告白だったのだが、エンはベッドに転がったまま、銜えタバコで面白そうに目を眇めただけだった。
「まぁ、ありえるかもな」
「随分あっさり納得するんだね。エンは何を根拠にそう思うわけ?」
「根拠ねぇ……」
 ふー、とタバコを吹かしながら、エンはしばらく何かを考えるように視線を宙に彷徨わせたが、答えを一時保留にするつもりなのかシュラに尋ね返した。
「お前の方はどうなんだよ?」
「僕?僕は……」

ドォォォォン

 轟音と共に床が大きく揺れた。
「ちっ、話は後だ」
「みたいだね」
 これにはさすがのエンも跳ね起き、持っていたタバコを素早く灰皿に押し付けると、棍を握り締め立ち上がった。
「行くぞ」
「うん」
 エンが部屋を飛び出す。シュラもロッドを手に後に続いた。





鳴り止まない不協和音


靄が掛かったようにはっきりしない鈍いイメージ



頭の中から消えることなく在り続ける





それはまるで、何かの予兆のように




to be continue…




backtopnext