++5.疼き(後編)++





「これを持っていていただけますか?」
 シュラに渡されたのは二本の双剣。過度な装飾はなくシンプルな造りだったが、よく見ればそこに刻まれた細かな傷跡から長年持ち主が愛用し、使い込んできたことがわかる。
 横で見ていたエンがひゅーっ、と軽く口笛を吹いた。
「こいつぁ結構な年代物だな。かなり名のある刀匠の作品と見た」
 盗賊らしくものとしての価値を評価したエンに対し、シュラもこれが名刀であるという意見に異存はなかったが、それよりもその年代物が未だ実戦で使用できる状態であることの方に感銘を抱いた。余程持ち主に大切にされてきたのだろう。
 そしてそれを何の躊躇いもなく、わずか二度の面識しかない自分に渡したことに何よりも驚いた。
「僕なんかに渡してもいいんですか?」
「説得にいくには刃物は無用でしょう?」
 そういう意味で言ったんじゃあないんだけど。
 と再び尋ね返すには、彼の表情にはあまりにも警戒の色がなさすぎた。少なくとも彼は自分に愛刀を預けるにあたって何の心配もしていないらしい。
 けれどシュラにはわからない。何故彼はそんなにも自分を信頼するのだろうか?
「ではちょっと行って来ます」
 アキはシュラの困惑の表情など諸共せず、甲板に来たときと同じように散歩にでも行くような軽い足取りでリヴァイアサンに近づいていった。
 アキが舳先へ辿り着く。ここからでは後姿しか見えないので、今アキがどんな表情をしているのか全くわからないが、醸し出す空気は何の澱みもなくとても静かだった。
 皆が固唾を呑んで見守る中、アキの腕が上に動いた。
 それに反応したリヴァイアサンが、すかさずかまいたちを飛ばす。
「アキ!」
 風邪の刃が彼の身体の端々を浅く傷つける。頬にも赤い線が一筋奔った。
 けれどアキは避けなかった。シュラの警告にも攻撃にも動じることなく、ただ上げた両手を腰辺りの高さで止める。それ以上高く上げることはない。また見せているのは手の甲ではなく、手の平だった。
 どうやら本当に紋章を使う気は一切ないようだ。
 アキが大きく息を吸う。
「a――bdha―――les a―dhi――devate――」
 音が、響いた。
 漣のように染み渡る美しいテノール。不思議な旋律は絶え間なく紡がれ、辺りを包む。
「これは――――詞というより異国の歌、か?」
 歌。確かに意味を解さない者には、それは歌のメロディーのように聞こえるだろう。
 だけど、これはやはり詞だ。失われたコトバ。僕も学んだことのないコトバ。
 でも僕はこれを知っている。今度は間違いない。だってこんなにもはっきりわかる。このコトバの意味が。


海の神よ!どうか我が声に耳を傾け給え!

貴方の心が嵐のように波立たれば、我らが心も荒れし海の如くなるであろう

貴方の心が凪のように静かなれば、我らが心も平穏なる海の如くなるであろう

貴方は海を愛するものなり

しかし我らもまた海を愛する同士なり

怒りを沈め、どうか今一度の慈悲を請う

海の神よ!静まりたまえ!


 最後のフレーズが終わった。
 海が静まる。リヴァイアサンはじっと彼を見つめている。まるで彼の言葉に耳を傾け、その真意を探ろうとしているかのようだった。
 両者ともに動かない。それは永遠に続くかのように思われた。
 が、しばらくして、いや実際には数秒のことだったのかもしれないが、リヴァイアサンはその巨体を静かに海へと沈めていった。
「おお!!」
 船乗り達の歓声が上がる。自分達は助かったのだ。
 けれどシュラはそれどころではなかった。気分が悪い。
 アキのコトバは彼のコトバと重なる。だけど同じではない。そこには微妙なブレがある。
 やはりあれはこの目の前の彼だったのだろうか?いや、そうではない。彼の声はもっと低くて…では本当に彼に会ったことはなかっただろうか?そして彼でないなら、あれは誰なのだ?
 ズキンズキンズキンズキン
 痛みが激しくなる。感覚がどんどん短くなっていく。
「お前、結構やるな!」
 エンは気安く彼の肩を叩き功を労った。先ほどの険悪なムードなど全くなかったような見事な豹変振りだ。
「どうも、でも成功してよかったですよ。実は久しぶりだったのでうまく発音できるかどうか少し不安だったんです」
「あれだけ自信満々に言っといて不安だっただあ?」
「世の中ハッタリも必要だと思いませんか?」
「まーそれは確かに否定できねぇな。何にせよ結果良ければ全てよし、だ」
 エンは過程や経緯には拘らない男だった。
 そして次には自分の興味を満たす方を優先する。
「ところであれはどこの言葉だ?聞きなれない発音だったが」
「さぁ、リヴァイアサンが持つ独自の言語を元にしているとも言われていますけど詳しくは」
「ふーん、シンダル語とはまた違うのか」
 会話が遠い。ボウッとする頭を覚ますように首を強く振る。そのとき船の舳先近くに落ちている何か小さなものが視界を掠めた。
 引き寄せられるようにシュラはそれに近付いてく。
 拾い上げたのは小さな袋。紐が付いていて首からぶら下げられるようになっている。
 それを見てアキが何かを探すように手を首にやった。
「あれ?」
「さっきかまいたちをくらったときに落ちたんだろうよ」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 左手で差し出されたそれをアキは右手で壊れ物を扱うようにそっとそれを受け取った。
「そんなに、大切なものなんですか?」
「はい、とても大切な…っと、あ!」
 袋にも傷が付いていたのか中身が破れた隙間から零れ落ちた。シュラとアキが同時にそれに手を伸ばす。
 シュラが一瞬早くそれを受け止めた。
 手の平にあったのは、鱗。


お守りなんだ

二枚あるね

内緒だよ、―――

―――の馬鹿!!

バイバイ


 突如先ほどまでとは比べものにならないくらいの量の音と映像が洪水のようにフラッシュバックする。頭がパンクしそうだ。
「ああっと、本当に度々すいません」
 そのとき、遅れて伸ばされていたアキの手がシュラの手に触れた。
 伸ばされたアキの手は左手。受け止めたシュラの手は、右だった。
 火花が散り、激痛が奔る。
 パキン
 何かが弾ける音がした。





唐突に自覚する

ああ、そうか。痛むのは頭ではなく、右手

この痛みは紋章が疼いているのか……


次の瞬間、シュラの意識は急速に闇の中へと落ちていった





to be continue…




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